第59回日本史講座は、5月13日(土)午後2時より、受講者のお宅にお邪魔してお昼をごちそうになった後、受講者8名で行われました。
 Ⅰ 第一次世界大戦
1 第一次世界大戦の勃発
1)大戦の原因
 大戦が勃発した背景には、19世紀末に新たな海外領土の獲得をめざすドイツとこれをはばもうとするイギリスとの間で鋭い対立がおき、建艦競争と呼ばれる海軍の軍備拡張競争が始まったことがあげられる。
 さらに列強が軍事同盟を結んでいたことが戦争を拡大させていった。ドイツが1882年、オーストリア・イタリアと三国同盟を結ぶと、ロシアとフランスが露仏同盟を結んでこれに対抗した。さらに1904年に日露戦争が起きると、イギリスはフランスと英仏協商を結び、1907年にはロシアと英露協商を結んだことにより三国協商が成立し、ドイツに対抗した。
 大戦の直接の原因となったのはバルカン問題である。バルカン半島は長くイスラムのオスマン帝国の支配下に置かれていたが、オスマン帝国がしだいに弱体化するなかで、バルカン半島のゲルマン民族とスラヴ民族の対立が起こってきた。オーストリアはゲルマン主義を利用し、ロシアはスラヴ主義を利用して支配地の拡大を図ろうとして対立したのでバルカンは「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていた。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2)サライェヴォ事件
 1908年、オーストリアがロシアと争っていたバルカン半島のボスニア・ヘルツェゴヴィナ地方をオスマン帝国から奪うと、ロシアとの対立は激しさを増していった。そして、1914年、反オーストリア感情が高まっていたボスニアのサライェヴォでオーストリアの皇位継承者夫妻がセルビア人の民族主義者に暗殺されるという、いわゆるサライェヴォ事件が起こった。余談ではあるが、私は今まで皇太子夫妻が暗殺されたと教えてきたが、それは間違いで、教科書に書かれているように「皇位継承者夫妻」が正しい。なぜなら、オーストリアの唯一の皇太子であったルドルフは、サライェヴォ事件の25年も前の1889年に、マイヤーリンクという別荘地で心中自殺を遂げている。これについては私のブログの「中央ヨーロッパ旅行記(オーストリア ウィーンの森①~③)」に詳しく書いているのでぜひご覧ください。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)3)戦争の経過
 サライェヴォ事件をきっかけにオーストリアは1914年7月、セルビアに宣戦布告し、ついで8月にはドイツがオーストリアの側に立ち、ロシア・イギリス・フランスなどがセルビアの味方をして、次々と参戦し、全ヨーロッパを戦争に巻き込んで史上空前の大戦が始まった。三国同盟を結んでいたイタリアは、オーストリアの支配下にあった北イタリアの領土を獲得することを条件に、連合国側(三国協商側は連合国と呼んだ)に加わった。また、アメリカもドイツの無制限潜水艦戦により被害を受けたため、連合国側に参戦し世界規模の第一次世界大戦となった。

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