1989年4月、日本で消費税が初めて導入された。そして、その年の参議員選挙では自民党が大敗し、参議院における与野党の勢力が逆転し、現在と同じようなねじれ国会という現象が現れた。消費税導入に対する国民の不満の現れである。
 消費税反対の闘いは、ドイツ三月革命の一つであるウィーン革命にも現れた。1848年3月、ウィーンの学生たちが検閲の廃止、国民軍の復活、憲法制定などを要求した請願書への回答を求めて身分制議会の会場へと押し掛けた。これをきっかけとして民衆と軍隊の衝突へと進んだ。この闘いは、市民革命の政治的課題を国王に約束させることによって収束に向かう。
 ウィーン革命には、もう一つ別の革命が存在した。それは、市外区の労働者の革命である。この頃、ウィーの都市構造は、市壁や外柵によって、貴族・金持ち市民が住み、商業を中心とする市内区と、小市民的手工業者および労働者が住み、製造業を中心とする市外区とに区分されていた。そして、市内区の革命は、政治的ないし経済的機構の改革に向けられていたのに対して、市外区の革命は、労働者の日常生活に密着した社会的なものであった。
 革命が進展すると、労働者たちは不正をおこなうパン屋・肉屋・高利貸しなどへの攻撃へと向かった。そして、その攻撃の方法は、「猫ばやし」と呼ばれるものであった。それは、もともとウィーン河畔劇場の芝居からおこったもので、市内区の革命においては一つの儀式であった。学生たちは銃を楽器にかえて、目指す相手の家に押しかけて音楽を奏でることにより、「この者は反動である」というレッテルを貼る。だが銃を持たない労働者にとっては、「猫ばやし」はりっぱな武器であった。相手が謝罪し、何らかの罪のつぐないをおこなわなければ、窓に向かって投石し、その財産を破壊し、ときには暴力行為にまで発展した。
 市外区の革命の中心となったのは、消費税廃止の闘いであった。ウィーンの消費税は、1829年に導入された。各市門には、消費税徴収所が設けられ、市内区・市外区を問わず、ウィーンに運び込まれるあらゆる消費物資に対して、定められた関税を課していた。それはパン・野菜・卵・肉・ワインなど、もっとも基本的な日常品にまで及び、間接税収入の5分の1を占めていた。
 三月革命が起こると、市内区の革命から排除された労働者たちは消費税徴収所を襲い、事実上消費税は廃止された。しかし革命が収束すると、政府は一定の譲歩をしながらも消費税を再開した。
 消費税の問題は思わぬ形で解決する。10月にハンガリー革命の鎮圧に派遣される軍隊に反乱が起こり、革命化した政府は、反革命軍に対抗するために労働者の力を借りざるを得なくなった。そのため労働者に武器が与えられ、彼らは「遊撃軍」として組織されることとなった。この日に、食料品に対する消費税が廃止されたのである。つまり、労働者自らの革命の力によって消費税は廃止されたのである。
         参考文献 増谷英樹著 『ビラの中の革命』東京大学出版会 1987年
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