(観光6日目)
 2月12日(金)早朝、ホテルの前に広がる地中海の砂浜を散歩した。その時、アルジェリア人と言葉を交わした。チュニジアでは、お隣のリビアやアルジェリアにはビザがいらないので、パスポートさえあれば簡単に旅行することができるとマックレムさんが教えてくれた。しかし、モロッコやエジプトはビザがいるということである。エジプトは別としても、同じマグレブ(アラビア語で太陽の沈むという意味)国のモロッコに行くのにビザが必要なのはなぜなのかわからない。
 さて、私たちは、スースのグランド・モスクに30分ほど待たされてようやく入場することができた。係員が寝坊したのか、来るのが遅れたからである。

   スースのグランド・モスク
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 『歩き方』によると、「アグラブ朝時代、851年にアブル・アバス帝によって建てられ、隣のリバト(メディナで最も古い建物)とともに当時は港や兵器庫を守る要塞の役割を果たしていた。そのため、通常メディナの中心にあるはずのグランド・モスクがメディナの端に位置するのである。厚く飾り気のない石造りの壁には、要塞に見られる銃眼の穴も施されていた。また、9世紀の完成時このモスクにはミナレットもなかった。」とある。

   リバト
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 グランド・モスクを見学したのち、私たちは陶器の町ナブールへ向かった。『歩き方』によると、「古くはバビロニアを起源とする長い歴史をもつ。また17世紀に、スペインを追われたアンダルシア人がここに定住し、緑や黄色のうわ薬(陶磁器の表面にかけて装飾と水分の吸収を防ぐために用いる一種のガラス質のもの)を使った陶器作りの技術を伝えたことで、より芸術性が高まった。現在は、ナブール焼きと呼ばれるこの町特産の陶器を求めて、外国人ばかりでなくチュニジア各地からも買い物にやってくる人は多い。一家にひとつは必ずナブール焼の壺や皿があるというぐらい、チュニジア人の家庭にとってはポピュラーなものなのだ。」とある。

   ナブールの陶器作り
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 この町はアンダルシア人が定住したせいか、私がアンダルシアで見た町の風景とよく似ている。街路樹にはオレンジがたくさん植えられている。マックレムさんによると、チュニジアのオレンジの60%がここで生産されているという。私たちもこの町でいくつかの陶器を買い求めた。
 次に私たちは、ボン岬半島のフェニキア人の遺跡ケルクアンに向かった。『歩き方』によると、「フェニキア人(ポエニ人)の町は破壊され、その上にローマ・ビザンチンなどの都市に造りかえられるのが通例だが、ケルクアンで見られるのは、ポエニ時代のままほっておかれた遺構だ。フェニキア人の純粋な町の遺構として世界に類を見ない。ローマ都市遺跡のような目を見張る巨大な建造物はないものの、ローマ以前、紀元前6~前2世紀に生きた古代人の文明の高さを感じとることができる。1985年、世界遺産に登録された。…この地に紀元前8世紀フェニキア人が入植し始め、原住民ベルベル人とフェニキアの文化を融合したポエニの町が紀元前6世紀頃できた。紀元前146年の第3次ポエニ戦争でカルタゴがローマに陥落する前に町に人はいなくなり、現在みられる町の遺構は紀元前4~前3世紀のものといわれている。」とある。私たちが訪れた日は、寒い日で少し雨も降っており風もきつかった。遺構のすぐ前に地中海が広がっており、貿易などには便利なところであるが、海からの侵入を受けやすい場所であることがわかる。

   ケルクアンの遺跡(各家におふろがある)
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 マックレムさんによると、紀元前301年にギリシア(マケドニア?)に破壊され、紀元前257年にローマに破壊されたとのことだ。また、『歩き方』によると「この土地から石工、左官、陶工、ガラス職人、工芸職人の工房跡などが発見されたことにより、ケルクアンは人口2500人ほどの職人と商人の町だったと考えられている。」とある。私は、今までフェニキア人といえば商業・貿易活動やアルファベットを普及させたことしか知らなかった。このような工芸においても高い技術を持っており、このような町を建設していたとは知らなかった。さて、この遺跡の民家でモザイクにタニト神のシンボルが描かれているのを見ることができた。

  ケルクアンのモザイクにタニト神のシンボルが描かれている
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 私たちは、以前にバルドー博物館でこのタニトの形をした石碑を見たが、『歩き方』によると、「タニトはオリエントで信仰されたアシュタルテ女神と緊密な関係があり、母神であると同時に冥界の神であり死と再生を司った。」とある。しかし、このタニトのシンボルを見ると、まるで子供の落書きとしか見えないのは私だけではないだろう。
 ケルクアン見学後、私たちは最初に訪れた首都チュニスに向かった。途中、ローマの水道橋を見学した。この水道橋は、五賢帝の一人ハドリアヌス帝の時代に建設されたものである。標高1300mのザクアン山から出てきた水をカルタゴまで運ぶために、何と長さ132㎞もの水道橋を建設したのである。現存するのは一部だけであるが、それだけでもローマの建築技術の高さをうかがうことができる。また、この水道橋の建築には、たくさんの奴隷が従事させられたであろうことが想像できるとともに、ローマ帝国の強大さを実感することができる。

   カルタゴに残る長さ132㎞もあった水道橋の跡
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 さて、私たちが最後に2連泊するのは5星ホテルであり、チュニスの都市で一番高いビルといわれている。ホテル到着後、私たちはチュニジアのワインを求めて近くのスーパーに行ったが、お酒売り場は閉鎖されていた。今日は金曜日でイスラム教の休日にあたる。平日はお酒を飲んでいるチュニジア人も聖なる金曜日ぐらいはお酒を断たなければならない。そのためにスーパーもお酒売り場を閉鎖しているのであろう。残念ながら何も買わずにホテルに帰って寝ることにした。
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