第48 回世界史講座のまとめ②(日本の軍国主義と満州事変)
1) 日本の軍国主義
第一次世界大戦で好況をつづけた日本も、戦後の不況と関東大震災で大きな打撃を受けた。1929年に世界恐慌がおきると、日本では農民の窮乏、労働者の失業が深刻化し、小作争議や社会主義運動が盛んになった。そのため財閥と結んだ政党は国民の信頼を失い、1932年に軍人らが首相を殺害した五・一五事件が、1936年には軍人らが兵士をひきいてクーデターをおこした二・二六事件がおきた。
2) 満州事変
日本は中国東北地方(満州)での権益を確保するため、蒋介石の北伐の影響がおよぶことをおそれた。そのため、日本の関東軍(中国東北地方に配備された日本軍)は独断で、北伐軍に北京をおわれた張作霖を列車ごと爆破して殺害した。
さらに1931年には、奉天郊外の柳条湖で満鉄線路を爆破し、これを中国の破壊工作だとして、東北地方全域を占領したが、これを満州事変と呼ぶ。
日本は、列強の非難を満州からそらすために、1932年、上海で中国軍との軍事衝突をしくんだが、これを上海事変と呼ぶ。そのうえで、清朝最後の皇帝の溥儀を擁立して,かいらい国家「満州j国」をたてた。しかし、1933年に国際連盟がリットン調査団の報告をもとに満州国の不承認を決議すると、日本は連盟から脱退した。