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第75回日本史講座のまとめ②(農業基本法と開放経済体制への移行)

3 農業基本法と開放経済体制への移行
1)農業基本法
 池田内閣の所得倍増政策は、農村にもおよんでいった。政府は、食糧管理制度のもと、補助金を投入して生産者米価を毎年引き上げていったため、消費者米価を上回るほどになった。その結果、米の供給過剰と食糧管理特別会計の赤字が深刻になり、1970年度から減反政策がはじまった。
 また、1961年には農業の近代化をすすめるための農業基本法が制定され、農業の近代化と農業生産性の向上、所得の増加をめざした。この結果、農家の所得水準は上昇し、地域間の格差は小さくなっていったが、兼業農家が増え、「三ちゃん(母ちゃん・じいちゃん・ばあちゃん)農業」が増加していった。
2)開放経済体制への移行
 高度経済成長政策は、貿易と資本を自由化して開放経済体制に移行し、先進国として世界経済に加わることをめざした政策でもあったが、それを可能にしたのは、1ドル360円という円安による貿易黒字がその背景にあった。
 日本は1963年にGATT(関税及び貿易に関する一般協定)11条国へ移行したが、それは国際収支を理由に輸出入の数量制限を行うことを禁止しており、貿易の自由化をめざしたものである。さらに1964年にはIMF(国際通貨基金)8条国へ移行したが、それは国際収支の赤字を理由に為替制限ができないことで、為替の自由化をめざしたものである。同年、日本はOECD(経済協力開発機構)に加盟し、資本の自由化をめざした。そして同年、日本はアジア初のオリンピック東京大会を開催するとともに、オリンピックにあわせて東海道新幹線を開通するなど、日本の先進国の仲間入りを印象付けた。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 

by YAMATAKE1949 | 2018-03-27 09:41 | 日本史講座