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                    (天橋立)
 私たちは、伊根の船着き場からバスで天橋立へと向かった。天橋立を見るためケーブルカーで登った。天橋立は、松島(宮城県)、宮島(広島県)と並ぶ日本三景として知られているが、上から眺める景色は本当に素晴らしいものであった。
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                   (天橋立)
 天橋立は、「丹後風土記」によると、イザナミノミコトが天界と下界を結ぶために、梯子を作って立てておいたが、ミコトが寝ている間に海上に倒れ、そのまま一本の細長い陸地になったのが天橋立だと記されている。天橋立は、白い砂と約6700本の松でできており、その美しい姿を「白砂青松」という言葉で昔から表現されていた。
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                 (天橋立)
 百人一首にも「大江山いく野の道のと遠ければ まだふみも見ず天橋立」と小式部内侍(こしきぶのないし)が詠っている。歌の意味は「大江山や生野を超えて丹後へゆく道のりは遠いので、まだ天橋立の地を踏んだことはございませんし、丹後の母からの文もまだ届いておりません。」という意味である。「大江山」は山城国と丹波国の間にある有名な山であり、「いく野」は丹波国天田郡にある。「行く」という意味も掛かっている。「まだふみも見ず」は天橋立の地へまだ訪れていないという意味と、手紙がまだ届いていないという二つの意味が掛かっている。
 この歌の作者小式部内侍は、平安時代の女流歌人で女房三十六歌仙の一人である。和泉式部を母に持つ作者が、歌合で藤原定頼に「丹後にいる母上に人をやって代作を頼みましたか。手紙を持った使者はまだ帰ってきませんか」とからかわれた時に即興で詠んだ歌である。この歌によって小式部内侍は自身の才能を証明したといわれている。
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                  (天橋立での記念写真)
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(天橋立 股覗き)
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                 (雪舟 国宝「天橋立図」と「沓島」「冠島」)
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               (マンホールに描かれた天橋立)