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チェ・ゲバラ霊廟には、彼の幼少期からの写真や彼に関する遺物が沢山陳列されていた。
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(チェ・ゲバラ霊廟)
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(チェ・ゲバラ霊廟)
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(霊廟前の広場)
 チェ・ゲバラは、1928年6月にアルゼンチン第2の都市ロサリオで裕福な家庭に生まれた。1948年にブエノスアイレス大学医学部に入学したが、学生時代にバイクで南米の放浪を行っている。1953年に医学部の免許を取得したが、ペロン政権下で軍医になることを避け、2回目の南米放浪を行って1954年にメキシコに亡命した。1956年にメキシコ亡命中のフィデル・カストロと弟のウラル・カストロと出会って意気投合し、キューバのバチスタ政権に対する反独裁闘争に参加することを承諾する。1957年、反乱軍の第2軍の指揮官として活躍し、1959年にバチスタが国外逃亡してキューバ革命は成功した。彼はキューバの国立銀行総裁に就任したが、アジア・アフリカの親善大使として来日し、このとき、広島市の原爆資料館を訪問し、「アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」と案内人に語ったといわれている。その後、工業大臣にも就任したが、1965年に国際的な革命闘争に参加するためキューバを離れ、各国を転々としたが、1967年にボリビアで捕らえられ処刑された。わずか39歳であった。(ウィキペディア参照)
 チェ・ゲバラ霊廟を見学した後、私たちはバスでサンタクララの市内へと向かった。15分ほどでサンタクララの市内に入ったが。町の中心部にあるビルには、キューバ革命のときにバチスタ政府軍が立てこもったビルがあり、そのビルには今も銃弾の跡が残っていた。
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(銃弾の跡が残っているビル)
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(サンタクララの中心街)
 サンタクララの町の中心街にはビダル公園があった。
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(ビダル公園)
 公園の横をヤギが引っ張っている車にたくさんの子供たちが乗っていた。
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(ヤギが引っ張っている車)
 次に私たちはバスで「列車襲撃跡」へと向かった。
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(列車襲撃跡)
 「列車襲撃跡」は、1958年12月29日にチェ・ゲバラ率いる革命軍が、革命軍鎮圧のために武器を輸送していた政府軍の列車を襲撃して成功したことを記念して設けられたモニュメントである。革命軍はブルドーザーで線路を破壊し脱線させて多くの武器を奪い、キューバ革命を成功に導く転機となった事件である。
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(列車襲撃に使われたブルドーザー)
 モニュメントに使われている列車は、襲撃当時そのままの列車である。
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(襲撃当時そのままの列車)
 鉄道は今も活用されており、私たちが見学していた時間に列車が通っていったが、びっくりするくらいゆっくり通り過ぎていった。
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(今も使われている列車)
 次に私たちはバスでカピーロの丘へと向かった。この丘にはバチスタ政権軍の砦があったが、チェ・ゲバラ率いる革命軍がこれを奪い、ここを拠点としてチェ・ゲバラは作戦を立てたといわれている。私たちは歩いて丘の上に登った。
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(丘の上に登る)
 丘の上には革命を記念するモニュメントとキューバ国旗があった。
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(モニュメントとキューバ国旗)
 丘の上からはサンタクララの町が綺麗に見えた。
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(丘の上から見た景色)
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(丘の上から見た景色)
 カピーロの丘がキューバ観光の最後となり、その後バスでハバナに戻った。翌朝、ハバナからトロント、を経由して羽田、そして伊丹空港に到着したのは3月11日の午後9時前であった。
 最後まで「キューバ旅行記」をご覧いただいて誠にグラシャス(ありがとう)。それでは皆さんアディオス(さようなら)。
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(お土産にキューバで買ったラム酒)
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(お土産にキューバで買ったコーヒーと蜂蜜)
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(お土産にキューバで買ったチョコレート)