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中国(青洲・曲阜・泰山)旅行記④

(観光4日目)
6月28日(月)午前8時にバスで青島の市内観光へと向かった。五四広場やカトリック教会をバスの車窓から見学した後、青島発祥の地会前村遺跡へと向かった。本来、このツアーでは青島市博物館に行くことになっていたが、月曜日は休館のために会前村遺跡に変更されている。会前村遺跡は中山公園の中にあった。

青島の中山公園の入口
 
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中山とは中国建国の父孫文のことだが、特に孫文と青島とは関係がなく、単に公園の名前としてつけられただけである。青島市で発見された初めての住居群の跡が会前村遺跡であるが、遺跡というのは名前だけで、公園には遺跡らしいものは何も残されておらず、住居跡の説明プレートが置かれているだけであった。

住居跡の説明プレート
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その後、私たちは青島の名前の由来となった島(現在は、小青島と呼ばれている)が見える桟橋へと向かった。ここは青島観光のスポットで、たくさんの観光客がきていた。ここで2時間のフリータイムということで、私たちは急いで桟橋のいちばん端まで歩いていった後、地下街のマーケットへと向かった。昨年大連に行ったとき、駅前に大きな地下街があり、そこでたくさんの海産物を購入したことがある。ところが、青島の地下街は小さく、あまりお店はなかったが、そこで私はお酒のおつまみ用の海産物を買った。

青島の桟橋 
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 小青島 
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その後、私たちはバスで青島空港へと向かった。昼食は、青島空港のホテルで青島料理を食べたが、昨夜の海鮮料理と同じく大変おいしかった。私たちは大満足で、午後2時出発の関西空港行きの飛行機に乗り込み、大阪には午後5時20分に到着した。
 私たちがこのツアーでめぐった地域は、中国の山東省にあたり、人口は約1億人である。この地域は日本と関係が深い。日本が第一次世界大戦に参戦した目的は、ドイツが青島など山東省に持っていた権益を手に入れるためである。また、1927年には蒋介石の北伐軍が山東省に接近すると、2万人の日本人居留民保護を口実に、日本の陸海軍は出兵をおこなった。出兵はさらに第2次・第3次へと続いたのであるが、これがいわゆる山東出兵である。このように、山東省は日本の近現代史にとって重要な地域であり、現在、日本史を教えている私にとって、この地を訪れることができたのは本当によかったと思う。

魯国の軍隊の模型
 
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 広東省の自動車のナンバープレート     
 
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ところで、このツアーのパンフレットには、「今回の企画では遣唐使をテーマにゆかりの地を訪れるシリーズツアーとなっております。各回遣唐使にまつわるエピソードを聞いたり、朱印を授与されたり、イベント感盛りだくさん。」とあるが、残念ながらこのツアーでは遣唐使の話は全く出てこず、私たちもこのツアーが遣唐使のゆかりの地をたどるツアーであるということすら忘れていた。恐らくガイドの揚少雪さんが新入社員で慣れていないということもあり、遣唐使に対する学習をするゆとりもなかったのではないか。しかし、ツアーそのものは私にとっては満足ゆくものであった。ホテルも食事もそれぞれよかったし、おみやげやに連れて行かれたのは2回と少なく、写真屋が付いてきて記念写真を買わされることもなかった。また、旅行参加者の人数が20名と少なく、皆さん旅慣れており、集合時間に遅れるなどの問題を起こすような人もいなかった。ユニークな参加者が多く、特に手品やとんちクイズなどで私たちを楽しませてくれたおじさんの存在は大きかった。
 以上で私の旅行記を終わりにしますが、ここまで読んでいただいて“非常感謝!”(フェイチャン・カンシエ)(本当にありがとう)それではみなさん“再見!”(ザイ ジエン)(さようら)。
      
by YAMATAKE1949 | 2011-08-13 07:38 | 旅行記