第9回世界史講座のまとめ(中華文明の形成・秦漢帝国の形成)

 第9回世界史講座11月12日(土)午後2時よりおこなわれました。受講者は7名でした。
 テーマは、「中華文明の形成」と「秦漢帝国の形成」です。
 いよいよ私たちの世界史の学習も東アジア世界へと入ってきました。
「中華文明の誕生」では、前5000年には黄河文明が成立していたが、同じころに長江下流にも稲作の文明があり、現在ではこの文明を合わせて中国文明と呼ばれていること。次に、中国の研究者の間では、最古の王朝を夏王朝と認めているが、日本ではまだ夏王朝を実在した王朝とは認めておらず、殷王朝を最古の王朝としている。それは、殷虚で発見された遺跡や甲骨文字によって証明されており、その政治が祭政一致の神権政治であったこと。なぜ黄河流域に都市文明が発達したのか、それは、メソポタミアなどと同じように、肥沃な黄土地帯で穀物の栽培とともに、黄土を乾燥させて簡単に住居などを造ることができたからである。
 また、甲骨文字の発明は現在の漢字の起源となり、我々日本を含めた東アジア世界に大きな影響を与えるとともに、歴史を文字に記録するという歴史学を発展させたことが重要である。
 次に「春秋・戦国時代と社会の発展」では、鉄製農工具の普及により、都市国家から領域国家へと
社会が発展したこと。そして、各諸侯や王が富国強兵策を実施し、優れた人材を登用したことが、この時代に諸子百家と呼ばれる思想家が出現したことを学習した。この時代には、「臥薪嘗胆」や「呉越同舟」また、「孟母三遷」と呼ばれるようなことわざの由来となった時代でもある。孟子の「性善説」や荀子の「性悪説」を学んだが、この荀子の弟子たちによって法家思想が生まれてきたことを学習した。
 法家思想を採用して中国を初めて統一したのが秦の始皇帝であり、英語のチャイナの語源となった「シナ」は秦からきており、現在広大な領域とたくさんの人口をかかえる中国が一つの国として統一されているのは、前3世紀に秦の始皇帝が中国を統一し、文字や度量衡や貨幣などを統一したからであると、今の中国では彼は高く評価されている。しかし、中国の歴史では、彼は極悪非道な人物であったとされてきた。その理由は、彼がおこなった「焚書坑儒」にある。儒学を徹底的に弾圧したことにより、漢代以後、儒学は国学となったために儒学者からそのように評価されるようになったのである。
 秦のあまりに性急な政策は、農民の反乱や各地の諸侯の反発をまねき、その中で有力な諸侯である楚の項羽と漢の劉邦の対立となり、漢王朝が成立した。ここでは、「四面楚歌」の由来の話しを学習した。次に、前3世紀にモンゴル高原に勢力を拡大した匈奴が中国を脅かし、漢王朝は、毎年多額の贈り物を匈奴に送らなければならなかった。そのため漢の武帝は、張騫を西の大月氏に派遣して匈奴と争そうことを計画したが、大月氏との提携は失敗した。しかし、それ以後、漢の西域経営が始まった。また、朝鮮半島には楽浪郡を設置して東への支配を広げたが、前1世紀には倭の使いが楽浪郡に貢物を持ってきていたことが「漢書」に残されている。
 以上が学習のまとめです。
 最後に、参加者のなかから「周の都が鎬京に置いたとあるが、なぜそれがわかるのか。」という質問がだされた。中国では歴史を大変重要なものと考え、代々王朝の歴史を残しており、それを集大成したのが、司馬遷の「史記」であり、そのなかに都の名前も書かれており、また、当然発掘調査もされているので、確実に都があったと言えるのである。というのが私の答えです。
 以上で報告を終わりますが、次回は、11月26日(土)午後2時です。内容は、「秦漢帝国の形成」の続きと「三国・南北朝時代と遊牧国家の動向」です。
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「魯壁と書かれた石碑」
「焚書坑儒」に対して儒家たちは書物を隠すために壁を作り、そこに書物を隠したと言われている。
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孔廟に飾られてあった孔子の肖像
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孔子のお墓
以上は、私のブログの中国旅行記より(ぜひ中国旅行記を読んでください。)
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by YAMATAKE1949 | 2011-11-14 11:02 | 世界史講座 | Comments(2)
Commented by nobu-f at 2011-11-15 11:33 x
遅まきながら本日受講させて頂きました、次回待望の三国志の世界に突入ですね、楽しみにしています、いつも、有難う。
Commented by YAMATAKE1949 at 2011-11-19 08:17
コメントありがとうございます。私も次の世界史講座を楽しみにしています。ぜひご夫婦で参加してください。