戦後史から何を学ぶか②

「アジアにおける民主化の動き」
資料【A】中国共産党第11期中央委員会第六回総会(六中全会)
a 建国以来の党の若干の歴史的問題についての決議(1981年6月29日)
一、(省略)「文化革命」(以下文革と略)によって党と人民は建国以来最大の挫折と損失をこうむった。
一、実践が物語っているように文革がいかなる意味でも革命的な社会的進歩ではなく、またこうしたものではありえなかった。(省略)
一、(省略)文革というこの全面的な、長期にわたる左よりの重大な誤りについては、毛沢東同志に主な責任がある。しかし、毛沢東同志の誤りは、究極的には偉大なプロレタリア革命家の犯した誤りであった。(省略)
一、(省略)彼は文革で重大な誤りを犯しはしたが、彼の一生からみると、中国革命に対する彼の功績は、彼の誤りよりはるかに大きい。毛沢東同志にあっては、彼の功績は第一で、誤りは第二義的なものである。(省略)
一、(省略)中国を近代化された高度な民主と高度の文明をもつ社会主義強国に一歩一歩築きあげるため奮闘するよう呼びかける。

b 選出された党指導部の構成
 中央政治局常務委員
 中央委員会
 主席    胡耀邦(総書記)
 副主席   葉剣英(全人代常務委員長)
 副主席   鄧小平(党軍事委員会主席)
 副主席   趙紫陽(首相)
 副主席   李先念
 副主席   陳雲(党中央規律検査委第一書記)
 副主席   華国鋒(前党主席)
                           (『毎日新聞』1981年7月1日)
資料【B】 コラソン・アキノの演説(1986年2月25日)
 ついに私たちは「家」に戻ってきました。1986年2月25日、この日を忘れないでください。時期は夜の9時、出来事は自由の再来、すなわち独裁政治からの解放です。二十年間にわたる虐待、抑圧、不正、荒廃、絶望の日々は終焉しました。これらの日々に終止符を打ったのは、民衆の勇気ある革命でした。これは真実です。フィリピン人はまさに勇敢であり、偉大なのです。私はフィリピン人として生まれて、これほど誇らしく思ったことはありません。この気持ちを、すべてのフィリピン国民と分かち合いたいのです。(省略)
 そして私は、ニノイを思い起こさずにはいられません。彼の死をグッド・フライデー(聖金曜日)に、また私たちの解放をイースター・サンデー(復活祭日)にたとえたいと思います。ニノイはきっと今、天国からほほえみかけています。彼の主張と行動が正しかったことを、私たちが立証したからです。
       (若宮清『コラソン・アキノ ――― 闘いから愛へ』立風書房 1986)

 1986年から始まった文化大革命は、76年の四人組の逮捕で終息した。文革の原因は、毛沢東が当時共産党の実権を握っていた劉少奇などから権力を奪回するために起こされたものであるといわれるが、この時点ではまだ毛沢東への責任を明らかにすることはできなかった。ようやく5年後、六中全会決議の資料【A-a】に見られるような毛沢東批判が現れたのである。この時、政治権力を握ったのは鄧小平であり、政治局の陳雲とともに鄧陳体制が確立した。(資料【A-b】参照)
 文革は社会の全階層を混乱のなかに陥れ、経済的にも5千億元の損失を生み、1億人以上の人々が政治的社会的被害を受けたといわれる。文革以後の中国は、経済再建のために人民公社を解体し生産請負制を導入した。その結果、食糧総生産量が増大するとともに民衆の生活水準にも大きな向上がみられ、農民一人当たりの平均収入も79年から83年の間に約2倍になり、万元戸と呼ばれる富裕農家も多数現れた。また大胆な対外開放政策が打ち出され、広東省や福建省に経済特区が設けられ、西側の資本、技術、経営管理が積極的に導入された。現代の中国が行っている改革・開放政策がこの頃に確立したことを押さえたい。
 フィリピンのマルコス政権は、86年の「二月革命」で民衆の力によって崩壊した。マルコス政権は、大地主を抑圧して新興工業企業家をとりこみ、農民の上からの新たな組織化によって権力を固め、さらに金と暴力という不正選挙によって政権の永続化を計り、独裁体制を樹立したのである。しかし、20年に及ぶ長期独裁体制は、門閥政治の側面を強め、政治運営の腐敗・汚職の横行が進んだ。これに対し、国民各層の抵抗が強まったが、米国も米軍基地から基地貸与料を徴収しようとするマルコスに不満を持っていた。マルコスにかわるべき人物としてベニグノ・アキノが求められたが、83年にアキノは暗殺された。この暗殺事件を契機に反マルコスの大衆運動が高まり、これを抑えるためにマルコスは大統領選挙を早めたが、反政府勢力はアキノ夫人を候補者として内外の支持を得た。そして、86年の大統領選挙におけるマルコスの不正は、民衆の怒りを招き、マルコスは亡命をよぎなくされアキノ政権が誕生したのである。資料【B】は、コラソン・アキノがマルコスのマラカニアン宮殿脱出を確認した後の第一声である。
  参考文献 土井正興ほか『戦後世界史』(大月書店 1989年) 
       池田誠『図説中国近現代史』(法律文化社 1988年) 
[PR]
by YAMATAKE1949 | 2011-12-05 10:50 | その他 | Comments(0)