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第20回世界史講座のまとめ①(明清時代の文化)

第20回世界史講座は6月9日(土)午後2時より、「東アジア諸国の発展」「東南アジアの大航海時代」をテーマにおこなわれました。受講者は7名でした。
8 明清時代の文化
 明の時代には、朱子学が官学とされたが、王陽明は知行合一を唱え陽明学をはじめた。陽明学は日本にも影響を与えた。陽明学者で大坂町奉行の元与力であった大塩平八郎は、1836年、天保の大飢饉の際、窮民の救済策を上申したが入れられず、蔵書を売却して窮民を救い、翌年挙兵したが鎮圧された。このように陽明学は行動的な学問として発展したのである。しかし、清朝の時代になると、清朝は満州族(女真族)であったために思想統制が厳しく、古典を文献学的・実証的に研究する考証学がさかんとなった。
 16世紀末からマテオ・リッチらイエズス会の宣教師が活動した。彼らは中国の支配者層に受け入れてもらうために天文・暦学・数学などの西洋の学術を中国に紹介した。また、中国服を着用したり、中国名を名乗るなど中国の風俗習慣を尊重した。このようなイエズス会の布教の仕方に反発した他の宣教師たちは、これをローマ教皇に訴えた。するとローマ教皇はこのようなイエズス会の布教方法を異端とした。これに対して清朝は、キリスト教の布教を禁止したが、これを典礼問題と呼んでいる。
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           左がマテオ・リッチで右が弟子の徐光啓(東京書籍『新選世界史B』より)
 
 Ⅱ 東アジア諸国の発展
1 ヴェトナム王朝の独立
 13世紀に成立した陳朝がモンゴルの侵略を撃退し、民族意識の高まりで独自の文字チェノムを使用した。陳朝滅亡後、明の永楽帝がヴェトナムを一時支配したが、黎氏が明軍をやぶって黎朝を建国した。16世紀に黎朝が南北に分裂後、19世紀はじめに阮朝が成立した。阮朝は国号を越南としたが、これがヴェトナムとよばれる由来となった。この王朝は、清朝に朝貢するとともに、南部ではタイと対立した。
2 朝鮮王朝
 倭寇で活躍した李成桂が14世紀末に高麗を倒して朝鮮王朝(李朝)を建国し、漢城(現在のソウル)を都とした。李朝は明に朝貢し、科挙にもとづく官僚制を整備し、仏教にかわって朱子学を重んじた。15世紀に、ハングルと呼ばれる独自の文字を作った。この文字は、第四代の世宗が民衆にも文字が必要と考え学者を集め発明された文字で、世界的にも珍しい文字である。李朝では高麗以来の両班(ヤンパン)が地主や高級官僚として実権を握った。16世紀末に豊臣秀吉が朝鮮に侵略したが、李舜臣らの活躍でこれを撃退した。朝鮮ではこれを壬辰・丁酉の倭乱(じんしん・ていゆうのわらん)と呼んでいる。
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 世宗王と彼が刊行させたハングルの概説書。(東京法令『世界史のミュージアム』より)
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李舜臣と亀甲船
李舜臣は大砲を装備した亀甲船を駆使して日本水軍を打ち破った。最後の海戦で戦死したが、現在も韓国では護国の英雄として尊敬されている。李舜臣の銅像は韓国各地に建てられているが、すべてが日本の方向を向いているといわれる。(東京法令『世界史のミュージアム』より)
by YAMATAKE1949 | 2012-06-10 07:30