ジャンヌダルク(フランス王権に利用された聖女)⑤
王太子シャルルがジャンヌを利用したのか
『ジャンヌ・ダルクの実像』(白水社)の地図によると、ヴォクルールから王太子のいるシノンまで、主要国道を使って最短の道を通っても500キロ近くある。このあたりはブルゴーニュ軍やイギリス軍の支配地であり、おそらく危険な地域を避けて間道を通ったであろう。その大変な距離を11日間で踏破したのだから、かなりの急ぎの旅であった。最近の研究によると、この旅を準備したのは王太子ではないかと考えられている。この頃、ジャンヌの噂はかなり知れ渡っていたようで、シャルル王太子は、自分がフランスの王になるのは神の導きだといった、後の王権神授説につながる権威を得るために、ジャンヌを利用したのではないか。という説を堀越氏は主張する。
ジャンヌが200名の従者を与えられ、軍旗や白馬や甲冑や剣などすべてめだつものが与えられたのは、一種の宣伝隊ではなかったか。このようなジャンヌの効果が発揮されたのが、オルレアンの戦いであった。オルレアンは北フランスにおける王太子側の拠点であり、イギリス軍はここを包囲していた。この囲みを突破するためにジャンヌが派遣されたのである。神の導きによって戦っていると純粋に信じ込んで、死を恐れないジャンヌに刺激されたオルレアンの軍隊や市民は、ジャンヌとともに戦い、ついにイギリス軍を追い出すのである。オルレアンの市民はジャンヌに感謝し、解放された日を記念して、今でも5月にはジャンヌのためにお祭りがおこなわれている。