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ミケランジェロ(自由都市フィレンツェの芸術家)⑦

あけまして おめでとうございます。本年も「山武の世界史」よろしくお願いします。
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(中公新書「フィレンツェ」より)
(解説)
 ダヴィデとは旧約聖書に出てくるイスラエルの王となった人物である。彼はベツレヘム村に住む羊飼いの少年であったが、ペリシテ人の巨人ゴリアを石投げで倒し、イスラエルを救ったという伝説が残されている。ルネサンス時代には旧約聖書を題材とした作品が製作されているが、『ダヴィデ』は他にドナテルロの作品も有名である。ミケランジェロの『ダヴィデ』は、ドナテルロや他の同様の主題による作品のように足下にゴリアの首を踏んでいない。羽仁五郎氏によると、その理由は「これによって見る人の眼はゴリアの首と『ダヴィデ』の顔とにわかれてそそがれることなく、『ダヴィデ』の全身に集中されるからであるとともに、ミケランジェロにとって、けだし人類の敵また芸術の敵また公共の敵は一怪物ゴリアにとどまらず、たえずしのびよる機会をうかがう内外の政治的圧政として表現しなければならなかったからであろう。」と指摘している。
 ミケランジェロがフィレンツェ市民からこの作品を依頼されたのは、フィレンツェを追放されたメディチ家が、教皇などと手を結んでフィレンツェへの侵略を推し進めようとしており、それを市民の力で阻止していた時期であった。この作品について批評家シャルル・トルナイ氏は次のように指摘する。
 「『ダヴィデ』の肉体の取り扱い方は新しい。・・・ミケランジェロは今や性格に解剖学的構造を表現しようとしているのである。・・・この『ダヴィデ』は聖書にあるような勝利する少年ではない。彼はフォルテッツア(ちから)とイラ(怒り)の化身なのである。この(ちから)は初期ルネサンスのフィレンツェ人文主義者によって、最も重要な市民的徳と考えられていた。15世紀以後、彼らは祖国防衛のために積極的な闘いをおこなってきたのである。この(ちから)の教義は、ルネサンスの著述家たちによって、怒りの感情である(イラ)の教義とあい補う者と考えられた。これは中世では非難されていたものだが、彼らによって市民の徳として高く位置づけられるようになった。そして勇気ある人間の道徳的な力を鼓舞したのが、この徳であった。それゆえミケランジェロの『ダヴィデ』は共和国市民の主要な二つの徳の化身である。つまり一人の「市民・戦士」の像なのだ。・・・市庁舎の宮殿入口前というこの彫像の設置場所の最終選択もまた、この仮説を裏付けてくれる。ミケランジェロは『ダヴィデ』が正しくこの場所に置かれるのを見たいと思っていたのである。そこはその政治的意味のゆえに最もふさわしい場所であった。・・・1495年のメディチ家追放のすぐ後、フィレンツェの市民たちはこの彫像を市庁舎の前に設置することを決めた。それはこの彫像を圧政者に対する共和国の勝利の象徴と考えたからである。新しい台座の上には次のような銘が刻まれていた。(共和国の救済の範として市民が1495年にこれを設けた。)このときから問題の場所は、市民の自由の勝利と、圧政者の敗北を記念するために捧げられたのである。ミケランジェロが『ダヴィデ』を通して雄大に高貴に表現したかったのは正しく共和国の自由の防衛の思想であった。」と。(シャルル・トルナイ著『ミケランジェロ』岩波書店)
 以上のようにミケランジェロの作品には人間の肉体を解剖するなど、実験や観察という科学的精神がある。それは中世キリスト教的な束縛などにとらわれず真実を見て行こうとする姿勢であり、そのような精神こそがルネサンスの精神なのである。このようにルネサンスの本質がミケランジェロの『ダヴィデ』に現れているのである。
by YAMATAKE1949 | 2013-01-01 11:28 | 人物世界史