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第32回世界史講座のまとめ①(ラテンアメリカ諸国の独立)

第32回世界史講座は、1月26日(土)午後2時より「自由主義とナショナリズム」「西ヨーロッパの自由主義」「社会主義と二月革命」をテーマにおこなわれました。受講者は8名でした。
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(東京法令「世界史のミュージアム」より)
2 自由主義とナショナリズム
1)ハイチの独立
 フランス革命に始まるヨーロッパの激動は、ラテン=アメリカにも大きな影響をおよぼした。フランスの植民地ハイチでは、1791年に黒人奴隷の反乱が起こり、本国のジャコバン派は奴隷解放を宣言した。しかし、その後ナポレオンは革命指導者を連行し獄死させ、奴隷制復活を画策した。これを見てもナポレオンがフランス革命の申し子ではなく、革命の弾圧者であったかがわかる。しかし、1804年にハイチでは黒人共和国が建国された。
2)ラテン=アメリカ諸国の独立
 ナポレオンがスペインを制圧すると、ラテン=アメリカの植民地では独立の気運が強まり、ウィーン体制で本国の王政が復活されても、1810年代にシモン=ボリバルのクリオーリョの指導の下でベネズエラ、コロンビアが独立した。現在のボリビアという国名はボリバルに由来する。ちなみにコロンビアは、コロンブスに由来する。ウィーン体制確立を指導したオーストリア首相メッテルニヒはこうした動きに反対したが、この地域への経済的進出を希望したイギリスは独立を支援し、またアメリカ合衆国大統領モンローは、ヨーロッパ諸国の干渉に反対するモンロー宣言を発し、独立を支持した。モンロー宣言(ヨーロッパとアメリカの相互不干渉=孤立主義政策)は、その後のアメリカ合衆国の外交方針となった。第一次世界大戦後のアメリカ大統領ウイルソンが提唱した「国際連盟」への加盟にアメリカ議会が反対した理由は、このモンロー宣言に由来する。
3)ギリシアの独立運動
 バルカン半島でも、オスマン帝国の支配下にあったギリシアが10年近い戦争ののち独立した。イギリスやロシアは、オスマン帝国の勢力を弱めるために独立を援助した。
by YAMATAKE1949 | 2013-01-27 09:57 | 世界史講座