第33回世界史講座のまとめ④(クリミア戦争・ロシアの改革)
3 東方問題とロシア
1)東方問題
ヨーロッパで起こった自由主義や民族問題は、オスマン帝国の支配下におかれていた諸民族にも影響を与えた。しかし、バルカン半島ではさまざまな民族が分立して利害が対立し、彼らの運動はロシア・イギリス・フランスなどの列強に利用されることが多かった。こうした列強間の対立に諸民族の運動が結びついて国際間に緊張が生まれた。これをヨーロッパでは東方問題と呼んだ。
2)クリミア戦争
地中海方面に向かって南下政策をはかったロシアは、1853年、オスマン帝国内のギリシア正教徒の保護を要求してオスマン帝国と開戦した。これをクリミア戦争と呼ぶが、ロシアの南下政策を阻止するために、イギリス・フランスなどの列強はオスマン帝国側につき、ロシアはこの戦争に敗北した。この戦争に数十人の看護婦とともに参加したのがナイチンゲールである。
3)ロシアの改革
クリミア戦争の敗北後、皇帝となったアレクサンドル2世は、上からの改革に取り組み、1861年、農奴解放令を発して経済と社会の近代化をはかった。
しかし、専制的な皇帝と貴族の支配がつづき、西ヨーロッパのような商工業者や金融業者などのような中小市民層の成長はおそかった。他方、知識人のなかには、人民に苦しみをもたらす資本主義を批判し、平等原理にもとづく社会改革をめざすナロードニキの運動が広がった。彼らは「人民のなかへ(ヴ=ナロード)」のスローガンをかかげたが、農民に受け入れられず、政府に弾圧された。対外的には、ロシアはクリミア戦争の敗北後、1877年に露土戦争でバルカン半島に勢力を伸ばそうとしたが思うように進まなかった。
次回の第34回世界史講座は、3月9日(土)午後2時より「アメリカ合衆国の発展」「ヨーロッパの文化」をテーマにおこないます。多数ご参加下さい。