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クロムウェル⑦

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(清水書院 今井宏著『クロムウェルとピューリタン革命』より)
 【5】
 水平派はどのような要求をもっていたか
(史料2)人民協約
一、同一人が最高権威に永くとどまることから明らかに生ずる多くの不便を防止するため、現在の議会は1649年末あるいはそれ以前に終了解散すること。
二、イングランドの人民は(彼らの代表選挙のために、現在、州、都市ならびに選挙区によって不平等に分布されているゆえ)公平に分配されること。この目的のため全国民の代表は400名としそれ以上でないこと。また各州およびそれに付属する地域においては、常に上記の代表を維持するために次に示す人数を選出すべきこと。
三、人民はもちろん、2年に1度一人の代表をみずから選挙し、・・・第1国会の選挙は1649年5月とし、その国会も将来のすべての選挙はこの協約の目的に規定された規則に従うこと。(川村大膳訳『西洋史史料集成』平凡社)
(解説)
 上の史料は、水平派の要求を表したものである。その内容には、現議会に解散を求めたうえ、人口数に比例して選挙区を改正し、2年に1回総選挙を行うことを定め、さらに議会に至上の権限を与えるが、信仰の自由、従軍強制への拒否権、法の前における平等など5項目は、この議会といえども侵すことのできないイギリス人民の生得権であると主張した。さて、この水平派というのは、革命中の1646年ころから小農民・小商人・手工業者・職人などを基盤としておこり、自然法の思想に基づいて、個人の人権、人民主権、社会契約説による政府の起源を唱え、共和制と普通選挙を要求した。
 水平派のリーダーはリルバーンであった。彼は議会軍に参加し、クロムウェルの下で東部連合軍の中佐にまで昇進した。水平派は議会派の軍隊(一般兵士)の中で大きな支持を得て、クロムウェルらの独立派の士官たちとの間で対立が起こった。対立の最大の論争点は、選挙権をめぐる問題であった。
 次は両派の主張である。
(A)イングランドにおけるもっとも貧しい人も、もっとも偉い人と同様に生きるべき生命を持っている。だから、ある政府のもとで生活するすべての人々が、まず自分自身の同意によってその政府に服従すべきであることは明白であろう。イングランドのもっとも貧しい人々も、自分が発言権を持たない政府には、厳密な意味ではまったく拘束されることはない、と私は思う。
(B)この国に恒久的な固定した利害を持たない人々は、国事の処理やわれわれの統治さるべき法を決定する人々とを選出するのに、関係したり参加したりする権利を持たない。・・・この国が統治される法を作る代表者を選ぶのは、この国の地方的な利害を理解している・・・土地を持つ人々と、すべての産業を握っている団体に属している人々なのである。(今井宏著『クロムウェルとピューリタン革命』)
 もちろん(A)が水平派の主張で、(B)が独立派の主張である。このような両派の対立は一旦中断され、軍の統一が確保された。それは、国王の脱出という事件が起こったからである。クロムウェルにとって水平派よりもさきに対決しなければならない敵がいた。それは、国王派と長老派である。敵に対抗するためには軍隊の団結が必要であった。
by YAMATAKE1949 | 2013-03-07 10:05 | 人物世界史