世界史部会3月フィールドワーク「大阪とコリア」②

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(竹林寺)
 次に私たちは地下鉄九条駅で下車し、昔の遊郭の面影を今も残している通りを横切りながら向かったのは竹林寺である。その理由は、志賀さんの資料によると、「竹林寺のある九条辺りは、江戸時代には『九条島』と言って、川口付近の人口島です。朝鮮通信使はここで船を下りており、竹林寺は宿舎として用いられたと考えられています。」とある。
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金漢重(キム・ハンジュン)の墓
 竹林寺の中に、1764年の第11回朝鮮通信使で、大阪で病死した金漢重(キム・ハンジュン)の墓があり、墓には彼の辞世の詩が書かれてあった。志賀さんの資料によると、「金漢重は22歳で病死したのですが、国にいるわが子を気に病むため、竹林寺の住職が同じ年頃の日本の子どもを枕元に呼び、慰めさせたという話が残っています。」とある。さらに資料によると、「本堂にある位牌には金漢重とともに、対馬藩士に殺害された崔天宗(チェ・チョンジュン)の名前が記されています。・・・崔天宗は対馬藩の通詞鈴木伝蔵に惨殺されたのですが、原因は鏡1枚が紛失したのを、崔天宗は、伝蔵が盗んだとして、鞭打ったことの復讐だとされますが、実際は朝鮮人参の密貿易が崔天宗にばれたからだという説もあります。鈴木伝蔵も逮捕処刑されました。この話は歌舞伎の題材にもなっています。」とある。私の全く知らない話であるが、大変興味深い。
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by YAMATAKE1949 | 2013-04-02 10:35 | その他 | Comments(0)