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世界史部会3月フィールドワーク「大阪とコリア」⑤

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つるの橋跡
 次に私たちが訪れたのは「つるの橋跡」である。現在、JR線や近鉄線に「鶴橋」という駅がある。私は東成区深江という町に生まれ育った者であるから、鶴橋はなじみの深い所であるが、名前の由来が「つるの橋」から来ていることを初めて知った。資料によると「堂ヶ芝廃寺周辺から東にかけて、朝鮮半島からの渡来人が多く居住した地域で、猪飼野と呼ばれていました。猪飼野の地名は渡来人が豚の飼育を行っていたからだとされています。」とある。私は、猪飼野に朝鮮人が多く住んでいるのは、近現代に入ってからだとばかり思っていた。日本の朝鮮侵略によって土地を奪われた人たちや、強制連行によって連れてこられた人たちが住み着いたところであると認識していた。しかし、古代から猪飼野という名前が付けられ、技術を持った渡来人が多く居住していたとは驚きである。また、「つるの橋」について、資料によると「猪飼野を流れる川を昔、百済川といいました。その百済川に架けられた文献上では、日本最古の橋が『つるのはし』です。当時の渡来人の技術が駆使されていました。日本書紀に『仁徳天皇猪甘津(いかいつ)に橋をつくる、この処を小橋と名付く』とあるのは、このはしのことです。現在では、百済川(平野川)は改修されて、流路が変更されています。そのため『つるの橋』の場所は、川からはかなり外れた場所になっていますが、そこに記念碑と明治時代の石橋の親柱が残されています。」とある。小橋がなぜ「つるの橋」になったのかということについては、「生野区役所の案内」によれば、「この辺りに鶴がよく飛んで来たところから、いつのまにか鶴橋と呼ばれるようになった。」と書かれてある。
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by YAMATAKE1949 | 2013-04-06 09:58 | その他