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トレヴィシックとスティーヴンソン⑨

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蒸気機関車860形(トレヴィシックの孫、リチャード・フランシス・トレヴィシックが設計と製作の指揮を行った日本最初の国産蒸気機関車)
 【7】 おわりに
 従来の産業革命の授業は木綿工業の機械化からはじめ、なぜこの部門から産業革命がはじまったのか、当時のイギリスの三角貿易とインド貿易など国際的な背景を中心に授業を進めてきた。しかし、イギリス産業革命全体をながめていけば、木綿工業よりも、むしろ鉄道の方が大きな役割を果たしていたのではないだろうか。また、生徒にとっても鉄道(蒸気機関車)は木綿工業よりも身近で興味があり授業を進めやすい。このような理由で私は鉄道(蒸気機関車)を中心とした産業革命の授業を試みたが、実は私にはもうひとつ理由があった。それはトレヴィシックという人物に興味をもったからである。イギリスでは、今でこそ彼を「蒸気機関車の父」と呼んでいるけれど、少し前までは彼の名前も忘れられていた。そして、「蒸気機関車の父」とは、スティーヴンソンを指していたのである。これらの違いはどこから生じたのか、それは鉄道事業に成功したかどうかによるのである。トレヴィシックは事業に失敗して極貧のなかで死に、スティーヴンソンは事業に成功して世界中にその名をとどろかせた。しかし、日本の鉄道開発においては、トレヴィシックの方が大きな役割を果たしている。彼の孫にあたるR・F・トレヴィシック(1845~1913)は、1888(明治21)年に汽車観察方として着任し、官鉄神戸工場にて、日本最初の国産蒸気機関車860形を製造(1893年)したのをはじめ、日本の技師養成に功績を残している。また、その弟のF・H・トレヴィシック(1850~1931)は、兄よりも早く、1876年に来日し、1889年に汽車監督となり、1893年には、信越線、横川ー軽井沢間のアプト式機関車の試運転を担当し、同年の開通に成功している。日本鉄道の歴史にとっても、トレヴィシックの名前は忘れてはならないであろう。(「日本大百科全書」小学館 参照)
(参考文献)
角山栄著「イギリス産業革命」『岩波講座 世界歴史(18)』岩波書店 1970年
R・J・フォーブス著・田中実訳『技術の歴史』岩波書店 1956年
ソ連科学アカデミー編・金光不二夫他訳『世界技術史』大月書店 1986年
by YAMATAKE1949 | 2013-05-02 10:46 | 人物世界史