イスラエル旅行記③(マサダ要塞)

a0226578_1153350.jpg
現地ガイドの信夫(しのぶ)さん
 私たちツアーの現地ガイドは、イスラエルに30年以上住んでいる日本人である。年齢は61歳で中東問題の研究のためにヘブライ大学で学び、その後もイスラエルに住み、現地ガイドとして生活している。なかなかの博識であり、また話が上手で説得力があり、遺跡や教会などでの解説は、今私たちがその時代にいるかのような臨場感を持たせてくれた。
(観光2日目)
a0226578_9282629.jpg
(マサダ要塞の復元模型)
 6月9日(日)午前7時30分に私たちが宿泊したホテルのすぐ近くにある「マサダ要塞」にバスで向かった。マサダへは約35㎞で約30分の道のりである。
a0226578_1044304.jpg
(ロープウエイで山頂へ)
 マサダとは、ヘブライ語で要塞という意味である。死海のほとりに赤茶けた丘陵が広がり、その中に大きな岩山が現れる。標高400mの山頂に広がる自然の要塞がマサダ要塞である。私たちはバスを降り、ロープウエイで山頂に到着したのが現地時間の午前11時前であった。
 マサダ要塞は紀元前100年頃、ユダヤ教の大祭司イェホナターンが造った要塞である。その後、ローマ帝国と結んだヘロデ王が要塞を補強増築し、豪華な冬の宮殿を建てた。ヘロデ王は自己の権力を強化するためにユダヤ教徒の中でも保守的な熱心党を弾圧した。しかし、皮肉にもマサダ要塞はローマ帝国と戦った熱心党が最後まで戦った場所となった。
a0226578_1194253.jpg
(黒い線の下が古代の石積み)
 マサダの頂上の遺跡は、石積みなど地上から1~2m部分を残しているだけで、新しく修築された石積みと区別するために黒い線が引かれている。
 ヘロデ王の死後、ユダヤはローマ帝国の属州となり、完全な支配下に入った。これに対して、紀元66年からローマ帝国に対するユダヤ人のいわゆる「ユダヤ戦争」が開始されたのである。しかし、70年にはローマ軍はエルサレム攻撃を開始し、4ヶ月後には全市がローマ軍の手に落ちた。このユダヤ戦争で、エリエゼル・ベン・ヤイールに率いられた967人の熱心党員は最後まで戦い続け、彼らが立てこもった所がマサダの要塞である。この要塞を取り囲んだローマ軍の数は1万5千人といわれるが、抵抗は2年以上も続いた。しかし73年についにローマ軍によって攻め落とされた。陥落直前に異教徒の奴隷となるよりは死を選び、7人の女子どもを除き、全員自決してしまう。ユダヤ教では、人間は神によって造られたのであるから、自殺をしてはならないという掟があるにもかかわらず。
 マサダはユダヤ人にとって特別な意味を持っており、「ノー・モア・マサダ」というスローガンを語り継いできた。現在ここで、イスラエル軍の入隊宣誓式が行われ、式の最後は「「マサダは2度と陥落させない」という言葉で締めくくられている。
 
[PR]
by YAMATAKE1949 | 2013-06-19 13:53 | 旅行記(海外) | Comments(0)