人気ブログランキング | 話題のタグを見る

イスラエル旅行記⑭(マリア永眠教会~ダビデ王の墓)

イスラエル旅行記⑭(マリア永眠教会~ダビデ王の墓)_a0226578_16243529.jpg
(旧市街アーケイド)
 聖墳墓教会見学後、私たちはエルサレムの旧市街アーケイドを通ってレストランへと向かった。アーケイドの両側には芸術作品が多数並んでいた。作品の横には作者の連絡先が書かれており、作品を買いたい人はそこに連絡して値段の交渉をするのだとガイドさんに教えてもらった。
イスラエル旅行記⑭(マリア永眠教会~ダビデ王の墓)_a0226578_16322092.jpg
(アーケイドの壁画)
 アーケイドの壁に古代のユダヤ人街の様子が描かれていた。
イスラエル旅行記⑭(マリア永眠教会~ダビデ王の墓)_a0226578_16363382.jpg
(マリア永眠教会)
 旧市街のレストランで昼食をとった後、私たちは歩いてシオンの丘周辺の観光へと向かった。シオン門のすぐ南にイエスの母マリアを祀って建てられたマリア永眠教会が建っていた。この教会はエルサレムでも有数の大きな教会で、1910年に10年がかりで完成したものである。
イスラエル旅行記⑭(マリア永眠教会~ダビデ王の墓)_a0226578_16462818.jpg
(マリアとイエス)
 教会内部の天井には、マリアとイエスの絵が描かれていた。
イスラエル旅行記⑭(マリア永眠教会~ダビデ王の墓)_a0226578_16481618.jpg
(永眠するマリア像)
 地下聖堂に降りると永眠するマリアの像が横たわっていた。新約聖書にはマリアの記述はほとんどなく、そのために各地にマリアに関する記念の地が残されている。私が以前トルコ旅行したときにも、エフェソスに「マリアの家」があり、マリアはイエスの死後、そこで余生をおくったとされていた。しかし、当時の交通事情と、マリアに縁のない遠いエフェソスに行ったとはとうてい考えられないとガイドの信夫さんは主張するが、私も同感である。イエスが葬られている場所の近くで余生をおくったと考えた方が妥当であると私も思う。さて、キリスト教では、古代においてはマリアはあまり重視されてこなかった。だからこそ新約聖書にもマリアの記述がほとんどないのである。ローマ帝国を倒したゲルマン人がキリスト教を受け入れたときに、ゲルマン人が持っていた地母信仰がキリスト教に影響を与え、聖母マリア信仰が広がっていったのだといわれている。
イスラエル旅行記⑭(マリア永眠教会~ダビデ王の墓)_a0226578_17233589.jpg
(最後の晩餐の部屋)
 マリア永眠教会のすぐ近くに、イエスが処刑前夜に弟子たちを集めて最後の晩餐を行ったといわれる部屋を訪れた。部屋の中は殺風景で、ダ・ヴィンチの名作「最後の晩餐」に描かれた場所とはまるで違っている。なぜこの部屋が最後の晩餐の部屋と指定されたのか根拠がよくわからなかった。
イスラエル旅行記⑭(マリア永眠教会~ダビデ王の墓)_a0226578_17301027.jpg
(ダビデ王の墓)
 最後の晩餐の部屋の下には、古代ヘブライ王国の二代目の王であるダビデの墓がある。ダビデはミケランジェロの作品でも有名で、ペリシテ人の侵略からヘブライ王国を守った英雄である。石棺はダビデの星が刺繍されたビロード布に覆われている。しかし、今から3000年も前の王の墓がこんな場所にあり、しかも石棺がビロードで覆われて現在も残されているなど、私にはそれが本物であるとは思われなかった。
イスラエル旅行記⑭(マリア永眠教会~ダビデ王の墓)_a0226578_17563517.jpg
(ダビデ王の像)
 ダビデ王の墓の入口にダビデ王の像が置かれていた。そのダビデ王は竪琴を持っている。なぜダビデが竪琴を持っているのかというとそれは神話に由来する。羊飼いの少年であったダビデは心の病をわずらっていたサウル王を竪琴で癒したとされているからである。
by YAMATAKE1949 | 2013-06-30 18:15 | 旅行記