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第39回世界史講座のまとめ②(変法運動と義和団運動)

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(帝国書院「タペストリー」より)
   Ⅱ アジアの民族主義と国家建設
1 中国分割と清末の改革
1)中国の分割
 下関条約の後、ロシア・フランス・ドイツが日本に圧力をかけ、遼東半島を清に返還させたが、これを三国干渉と呼ぶ。しかし、ロシアは東清鉄道(シベリア鉄道のバイパス)の権利を手に入れた。この頃から列強は、租借地や鉄道建設の利益を獲得したり勢力範囲を定めたりした。ドイツは山東半島をロシアは旅順・大連(遼東半島)など、イギリスは威海衛(山東半島)と長江流域と香港・九竜半島など、フランスは広州湾などを獲得した。遅れて進出したアメリカは、門戸開放宣言を出し、割り込みをはかった。
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(帝国書院「エスカリエ」より)
2)変法運動
 こうした列強の動きに対して、清朝では1898年、光緒帝の支持を得た康有為、梁啓超らが、日本の明治維新をモデルに急激な改革をすすめたが、これを変法運動と呼ぶ。しかし、西太后ら保守派は洋式陸軍の司令官袁世凱と組んでクーデターをおこし皇帝を幽閉したが、これを戊戌の政変と呼ぶ。
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(帝国書院「タペストリー」より)
2 義和団運動
1)義和団運動
 北京条約で公認されたキリスト教の教会が各地につくられると、しだいに外国人排斥の意識が強まり、キリスト教の布教に反対する運動が各地に広がっていった。宗教結社の義和団は、ドイツが急速に進出した山東省の農民に支持を広げ、1899年に「扶清滅洋」をとなえて教会をおそった。1900年には北京に入り、外国公使館を包囲したが、これを義和団事件と呼ぶ。
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(実教出版「高校世界史B」より)
2)北京議定書
 これに勢いづいた西太后らは各国に宣戦したが、列強は8カ国連合軍をつくって出兵し、北京を占領した。翌1901年、清は8カ国連合軍に屈服し、巨額の賠償金と北京などへの外国軍の駐留を認める北京議定書に調印した。これ以降、北京周辺には列強の軍隊が駐屯するようになった。
by YAMATAKE1949 | 2013-07-15 15:58 | 世界史講座