第39回世界史講座のまとめ③(日露戦争・日本の韓国併合)

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(帝国書院「エスカリエ」より)
3 日露戦争
1)日露戦争の背景
 義和団事件以後も、中国東北地方(満州)に軍隊を駐留させていたロシアは、さらに朝鮮に勢力を拡大しようとした。日本はこれに危機感を持ち、またイギリスもロシアの南下政策を押さえようとした。日本とイギリスは1902年に日英同盟を結び、東北地方への関心を強めていたアメリカも、日本を支持した。一方、ロシアもフランスやドイツの支持を得ていた。こうした国際関係のなかで、1904年に日露戦争がおこった。
2)戦争の経過
 1904年2月8日、日本軍が旅順港に停泊中のロシア艦隊を奇襲し、10日に宣戦布告
 1905年1月旅順攻略、日本は5万9000あまりの大きな犠牲
       3月奉天会戦、両国とも30万前後の大軍が激突、以後戦闘はこう着状態
       5月日本海海戦で日本軍の勝利
 日本は戦局を有利に進めたが、戦力の限界に達した。ロシアでも、1905年におこった「血の日曜日事件」をきっかけとする第一次ロシア革命のため、戦争の継続が困難となった。両国は、アメリカ大統領セオドア・ローズベルトの仲介によってポーツマス条約を結んで講話した。この結果、日本は韓国の保護権、遼東半島南部の租借権、東清鉄道の南満州支線の利権、南樺太などを得た。
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(帝国書院「エスカリエ」より)
4 日本の韓国併合
 日本は、日露戦争開戦の1904年に第一次日韓協約を結び、韓国政府に日本人顧問を採用させた。さらに1905年には第二次日韓協約を結んで韓国統監府を設置し外交権を奪った。1907年に韓国皇帝の高宗がハーグ万国平和会議に密使を送ったが、列強はこれを無視し、日本は高宗を退位させ、第三次日韓協約を結んで韓国の内政権を獲得し、軍隊を解散させた。これに対し半日義兵闘争が起こり、初代の韓国統監だった伊藤博文は、ハルピンで韓国人青年安重根に射殺された。翌1910年、日本は日韓併合を断行し、朝鮮総督府を設置して朝鮮半島を完全な植民地とした。
 
 次回、第40回世界史講座は7月27日(土)午後2時より「辛亥革命」「アジアの民族運動」などをテーマに行います。
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by YAMATAKE1949 | 2013-07-16 09:21 | 世界史講座 | Comments(0)