第40回世界史講座のまとめ②(アジアの民族運動)

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(浜島書店「アカデミア世界史」より)
6 東南アジア
1)フィリピン
 東南アジアは、19世紀後半までに欧米の植民地として商品作物の生産をしいられるようになっていた。16世紀後半からスペインの植民地となっていたフィリピンでは、ホセ・リサールやアギナルドを指導者として独立運動が広がり、1898年には独立宣言を発して革命政府を樹立した。しかし、米西戦争に勝ったアメリカによって占領され、その植民地となった。
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(浜島書店「アカデミア世界史」より)
2)インドネシア
 スマトラではムスリムの抵抗運動が鎮圧され、オランダの支配は強化された。ジャワでは、ブディ・ウトモ(最高の知恵)のような民族主義団体が結成され、またイスラームや相互扶助をかかげたイスラーム同盟は、第一次世界大戦後、独立運動の中心となった。
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(浜島書店「アカデミア世界史」より)
3)ヴェトナム
 フランスの植民地となったヴェトナムでは、ファン・ボイ・チャウの知識人が日本の明治維新にならった独立と立憲君主制をめざして維新会を結成し、日本への留学運動である東遊運動を行った。しかし、フランスの要請を受けた日本政府は留学生を圧迫し追放した。
7 南アジア
 インドでは、1885年にインド人の資本家や知識人を中心に、インド国民会議が開かれ、民族運動の中心となっていった。イギリスは1905年に、運動の中心であったベンガル州を、ヒンドゥー教徒とムスリムのあいだで分割するというベンガル分割令を出した。これは宗派対立を利用して民族運動の分裂を図ったものである。これに対して国民会議派はボイコット(イギリス商品の不買)、スワデーシ(国産品愛用)、スワラージ(自治)、民族教育の4つのスローガンを掲げて、イギリスに立ち向かった。他方、ムスリムの指導者は、全インド・ムスリム連盟を結成し、イギリスはこれを後押しした。
8 西アジア
 トルコではスルタンの専制の打倒と立憲政治の復活をめざす青年トルコ(統一と進歩委員会)が、1908年に軍の反乱を組織し、やがて政権をにぎった。
 イランでも、国王の専制への批判が強まり、1906年には、ウラマーや民衆の要求に応じて国民議会が招集され、列強への利権譲渡や外債の拒否を議決し、憲法が発布されたが、これをイラン立憲革命と呼ぶ。しかし、ロシアの軍事介入により挫折した。
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by YAMATAKE1949 | 2013-07-30 09:21 | 世界史講座 | Comments(0)