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生活文化の世界史(時計の世界史②)

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(中公新書「時計の社会史」より)
2 機械時計
 機械時計は1300年前後のころ、修道院で最初につくられたといわれる。それは、修道院では、修道僧が昼も夜も一定の時刻に神に祈りを捧げていたわけで、彼らにとって正確な祈りの時間を知る必要があったからである。時間がくれば自動的に鐘が鳴る機械時計があれば、夜昼となく祈りの時間を気にしなくてすむ。そういうわけで機械時計には、その出現の当初から必ず鐘がついていた。こうして機械時計は最初修道院や教会内部の宗教的必要から生れた。
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(中公新書「時計の社会史」より・・・著者によると、「シンデレラは第一日目の夜に時計が11時45分の時を打つのを聞くや、急いでお城を抜け出た」とあるが、そんな時計はいつ頃つくられていたのか疑問であったが、16世紀末から17世紀初めのヨーロッパで、15分ごと及び1時間ごとに鳴る時計がつくられていたのを見つけたが、上の写真がその時計である。)
 教会内に閉じ込められていた機械時計は、まもなく都市市民の前に公共用時計として登場する。最初の公共用時計が出現するのは、イタリアのパドアで14世紀中頃のこと。これを作ったのは天才的な時計工ヤコブ・ドンディとその息子ヨハンネス・ドンディで、この時計が、その後長い間ヨーロッパ各都市の公共天文時計の原型となる。公共用機械時計は15世紀から16世紀にかけて、教会の塔に取り付けられた。また市民が集まってくる市場などの公共広場には、必ず時計塔が設けられるようになる。そして時計は等間隔で、一時間ごとに時を告げた。そのときの鐘によって市民たちは、都市の城門の開閉から仕事のはじめと終わり、食事の時間まで秩序ある生活を営むようになる。すなわち公共用機械時計の出現は、自然のリズムに従った農村の生活、農村の時間から、人工の時間に従えられた組織と秩序の上に立つ都市の生活、都市の時間への転換をもたらした点で画期的な意味をもつものであった。
by YAMATAKE1949 | 2013-09-11 09:11 | 授業実践