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第43回世界史講座のまとめ④(イタリアのファシスト政権)

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(第一学習社「最新世界史図表」より)
5 イタリアのファシスト政権
 イタリアは戦勝国だったが、ヴェルサイユ条約では、領土要求は認められなかった。さらに失業者が増えて、ストライキがしばしば起きるなど、社会不安が高まった。
 ムッソリーニは、都市や農村の不満分子を組織し、社会党や共産党を攻撃して、資本家・地主・軍人に支持を広げ、1921年にファシスト党を結成した。翌、1922年にローマ進軍をおこなうと、強力な支配を求める国王はムッソリーニに組閣をゆだねた。1924年、ムッソリーニは選挙に勝利すると、批判勢力を弾圧し、王党派や教会との連合を維持しながら、1926年以降、一党独裁のファシズム体制を強化した。
 ところで、私の授業では生徒にファシズム体制とはどのような意味かを問う。全体主義とか、民主主義を否定した体制とか、一党独裁体制などという答が返ってくるが、ほぼ正解だと指摘する。そして、ファシズムの語源は、イタリア語のファシスタから来ているが、どのような意味でしょうかと生徒に質問するが、正解するのはなかなか難しい。その答は束ねるというのが本来の意味である。
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
6 帝国の解体と東欧諸国
 パリ講和会議の結果、オーストリア・ハンガリー帝国は、サン・ジェルマン条約によってドイツ住民のオーストリアとマジャール人のハンガリーに分離されたほか、チェコスロヴァキアとユーゴスラヴィアの独立を認めることになった。また、北部は新しく生まれたポーランドに、東部はルーマニアに、南部はイタリアに譲られ、大国であったオーストリアとハンガリー帝国は、中部ヨーロッパの小国となった。
 一方、ロシアが支配していたバルト海沿岸には、フィンランドとバルト三国(エストニア・ラトヴィア・リトアニア)が誕生した。第一次世界大戦によって帝国が解体したあとには、こうした東欧諸国が独立した。しかし、東ヨーロッパには多くの民族がいりくんで居住していたうえ、戦勝国がドイツの勢力削減やロシア革命の波及の防止などをねらって、各民族の分布を無視して国境線を決めたので、多くの国が複雑な民族問題をかかえることになった。
 次回の第44回世界史講座は、9月28日(土)午後2時より、「アジアの独立運動と革命」をテーマに行います。多数のご参加を期待しています。
by YAMATAKE1949 | 2013-09-18 10:00 | 世界史講座