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第44 回世界史講座のまとめ③(三・一独立運動)

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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
5 日本の朝鮮支配と三・一独立運動
1)日本の朝鮮支配
 日本の植民地とされた朝鮮では、言論・集会の自由やハングルの新聞が認められないなど朝鮮総督府のもとで厳しい武断政治が行われた。土地の所有者を決める土地調査事業が進められ、その結果、多くの土地が日本人らに払い下げられ、土地を奪われた農民は小作人や流民に転落し、中国東北地方や日本に移住する者も多かった。これが今日の在日韓国・朝鮮人問題の発端となった。なぜ、土地調査事業で農民が土地を失ったのか。調査事業は、農民に自分の土地を自己申告させたが、その時に申告した土地は取りあげられるという、デマを流したために農民は申告しなかったことや、農民の共有地などが総督府に没収されたことが原因である。
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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
2)三・一独立運動
 朝鮮ではロシア革命や、民族自決をとなえたウイルソンの十四か条の影響を受け、1919年、3月1日、三・一独立運動がおきた。ソウルで知識人たちが「独立宣言書」を発表すると、独立万歳を叫ぶ民衆の運動が全国に広がり、各地でデモやストライキが続いた。朝鮮総督府は武力で独立運動を弾圧したため、約7500人が犠牲となり、約4万人が逮捕された。
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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
 三・一独立運動の犠牲者の中には、拷問を受け獄死した17歳の女学生柳寛順がいた。彼女の存在は今でも韓国の青少年に深い感銘と尊敬の念を呼び起こしている。
 三・一独立運動では朝鮮の独立は達成できなかったが、日本は武断政治から文治政治と呼ばれる統治に変更せざると得なかった。
 ところで、私が韓国を旅行したときに、三・一独立運動運動の出発となった「パゴダ公園」にいったが、正式名はダブコル公園で、俗名がパゴダ公園と呼ばれているのを知った。そして、なぜパゴダと呼ばれたのかというと、公園の真ん中に小さな石塔が置かれていたからである。韓国語で仏塔のことをパゴダと呼ぶのだそうです。
 次回第45回世界史講座は、10月28日(土)午後2時からです。テーマは、「西アジアの独立運動」「東南アジアの独立運動」です。多数のご参加を期待しています。都合により、10月14日(土)は休講です。
by YAMATAKE1949 | 2013-10-01 10:39 | 世界史講座