世界史演習⑭(朝鮮史11)

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(ハンリム出版社「韓国の歴史より)
3 義兵闘争と啓蒙運動
1) 閔妃殺害事件
 日清戦争に勝利した日本が、朝鮮に対する支配力をさらに強化すると、アジア侵略の野心を抱いて南下政策をとっていたロシアと衝突した。日清戦争で遼東半島を占領した日本に対して、ロシアがドイツ・フランスとともに、返還を要求する「三国干渉」に直面すると、日本は、やむなく遼東半島を放棄した。このため、朝鮮の政府内部には、ロシアと提携して日本を牽制しようとする動きが現れた。
 このようななかで、日本公使三浦梧楼は、日本の守備隊と浪人隊たちを使って1895年に王宮に押し入り、王妃を殺害のうえ、死体を陵辱したのち、これを焼き払った。三浦らは、この事件が発覚して国際問題化したのちも、領事裁判権に守られ、翌年の広島での軍法会議で全員免訴とされた。
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(三省堂「朝鮮の歴史」より)
2) 義兵闘争
 事件後、日本の影響下で組閣された金弘集内閣は、朝鮮人をこの事件の下手人に仕立て上げて処刑した。そのうえ、この内閣のもとで、断髪令が強行され、民衆の不満は高まり、ついに義兵闘争となって勃発した。義兵とは、国家的危機に際して、国家の指令を待たずに、自発的に立ち上がる人民の義勇軍を意味する。
3) 啓蒙運動
 朝鮮政府が列強の間にはさまれて自主的統治能力を喪失するようになると、民族の自由と独立のために立ち上がった愛国の志士たちは各種の政治団体を組織して救国運動をおこした。その中でも最も早く組織されて活発な運動を展開したのが独立協会であった。
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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
 独立協会は、自由平等の民権思想を主張し、国家の自主独立をめざして政治運動を展開した。彼らは民衆の献金で独立門を建てた。またハングルと英字による『独立新聞』を発行して国民を啓蒙した。
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by YAMATAKE1949 | 2013-10-03 09:53 | 授業実践 | Comments(0)