世界史演習⑰(朝鮮史14)

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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
6 三・一独立運動
 朝鮮ではロシア革命や、民族自決をとなえたウイルソンの十四か条の影響を受け、1919年、3月1日、三・一独立運動がおきた。
 独立運動の発端となったのは、1919年2月、東京在住の朝鮮人留学生が独立宣言と民族自決の決議を発表し、日本の侵略と支配を厳しく糾弾し、朝鮮民族の栄光と独立運動への決起を訴えたこの宣言は、内外の朝鮮民族の闘志をわきたたせた。
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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
 そして、1919年3月1日、ソウルのパゴダ公園で朝鮮の独立が宣言されると群衆は「朝鮮独立万歳」を叫びデモ行進し、やがて数十万の示威行進へと拡大していった。日本軍・憲兵・警察の弾圧にも屈せず、ソウルだけでなく、ピョンヤンをはじめ、朝鮮全土で独立示威のデモがおこった。
 3月1日から5月末までの間に、218の市・郡のうち217の市・郡で、1491回の示威や暴動がおこり、200万以上の大衆が参加した。朝鮮総督府は武力で独立運動を弾圧したため、約7500人が犠牲となり、約4万人が逮捕された。
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(ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
 三・一独立運動の犠牲者の中には、拷問を受け獄死した17歳の女学生柳寛順がいた。彼女の存在は今でも韓国の青少年に深い感銘と尊敬の念を呼び起こしている。
 三・一独立運動では朝鮮の独立は達成できなかったが、日本は「武断政治」から「文化政治」と呼ばれる統治に変更せざると得なかった。それは、武力だけでは安定した政権を維持できないと考え、一定のハングルの新聞の発行を認めたり、学校では先生がサーベルをはずして授業をするようになるなど、見せかけの部分的な譲歩でしかなかった。
 ところで、私が韓国を旅行したときに、三・一独立運動運動の出発となった「パゴダ公園」にいったが、正式名はダブコル公園で、俗名がパゴダ公園と呼ばれているのを知った。そして、なぜパゴダと呼ばれたのかというと、公園の真ん中に小さな石塔が置かれていたからである。韓国語で仏塔のことをパゴダと呼ぶのだそうです。
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by YAMATAKE1949 | 2013-10-07 09:30 | 授業実践 | Comments(0)