ウクライナ・モルドバ旅行記⑦(バフチサライ)

(観光3日目)
 私たちは、10月11日(金)の午前8時30分頃に黒海北部に浮かぶクリミア半島を巡り、バフチサライへと向かった。ヤルタから約82㎞、バスで約2時間の行程である。
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(バフチサライのハーン宮殿の門)
 バフチサライとは、クリミア・タタール語で「庭園の宮殿」という意味である。1532年から1783年にロシアに占領されるまで、ここにクリミア・ハン国の首都が置かれた。ハン国の君主であるサヒブ・ギレイによってハンサライ(ハンの宮殿)が建設された。宮殿はロシア軍によって破壊されたが、その後修復された。
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(中庭を取り囲む建物)
 門をくぐると広い中庭があり、周りを平屋建ての建築物が取り囲んでいた。
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(宮殿内のモスク)
 噴水のある中庭からモスクが見えたが、ミナレットが無ければモスクとはわからない。
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(謁見の間)
 ハーンが来客を招いた謁見の間は、ステンドグラスが光に反射して美しかった。部屋の中にも噴水を設置されているが、これはイスラーム文化の特色だ。アラビア半島から起こったイスラームは水を好んだからである。
 タタールとは、13世紀にチンギスハンによって大帝国を築いたモンゴルを指す。大帝国は分裂し、南ロシアにはキプチャク・ハン国が成立したが、15世紀に内紛により衰退し、これにかわって16世紀にクリミア・ハン国が成立した。彼らはイスラーム教を取り入れたのでここにイススラーム文化が花開いた。
 しかし、第二次大戦中の1944年、スターリンによってクリミア・タタール人が中央アジアに強制移住させられたため、バフチサライのタタール人はいなくなった。ソ連時代の末期になって、ようやくタタール人の帰還がゆるされると、再びここにタタール人が住むようになった。
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(「涙の泉」の噴水)
 この宮殿には有名な「涙の泉」と呼ばれる噴水がある。これはクリミア・ハン国の王が思いを寄せていた異教徒の女奴隷の死をいたみ、涙を流す噴水としてつくらせたものである。この噴水が有名となったのは、ロシアの詩人プーシキンがこの見聞をもとに「バフチサライの泉」という詩を書き上げたからである。噴水にはバラの花が絶えず添えられており、噴水の横にはプーシキンの像が置かれていた。
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by YAMATAKE1949 | 2013-10-23 10:06 | 旅行記(海外) | Comments(2)
Commented by あきこ at 2013-10-23 17:36 x
全ての写真がとても美しく、旅行雑誌を観ているようです♪
Commented by YAMATAKE1949 at 2013-10-24 09:44
ありがとう。でも本物はもっときれいですよ。