ウクライナ・モルドバ旅行記⑩(オデッサ②)

(観光5日目)
 10月13日(日)、今日の午前中は徒歩でオデッサの町を散策した。
 
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(オペラ・バレー劇場)
 まず最初に見学したのはオペラ・バレー劇場である。この劇場は、ウィーンの建築家によって設計され、1884年から1887年にかけて建てられた豪華な建造物である。しかし、ガソリンランプから引火した火災、さらにカフェからの火災と二度の火災に見舞われ、現在の建物は新しく建て替えられたものである。残念ながら私たちは劇場の中には入ることができなかった。劇場の周りには、新聞社・考古学博物館・図書館・市役所など、すばらしい建築物が並んでいた。
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(錨のモニュメント)
 通りにはオデッサの町のシンボルとなっている錨のモニュメントがあった。オデッサは、古代ギリシアの時代から港として栄えていたので錨が町のシンボルとなったのであろう。
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(世界の港町が書かれた表示板)
 この町は国際色豊かな港町で、通りには世界的に有名な港町の名前が書かれた表示板が置かれており、オデッサと姉妹都市となっている横浜の名前もあった。
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(バンドゥーラの演奏者)
 通りにはウクライナの民族楽器であるバンドゥーラを弾いている若者がいた。私は1ドル払って写真を撮らせてもらった。
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(ポチョムキンの階段)
 私たちは、昨日の夜に散策した中央広場にやってきた。そして、そこにあるオデッサで最も有名となった「ポチョムキンの階段」の上から港を見下ろした。この階段はソ連映画史上最も有名な「戦艦ポチョムキン」のなかでもこのオデッサの階段のシーンは有名である。実は、このツアーに私を誘った大学時代の友人は、この場所を見たいためにこのツアーに参加したのである。私もこの映画は友人と一緒に見た覚えがある。無声映画で、1905年の第一次ロシア革命時の戦艦ポチョムキンで起こった反乱をとりあげたものである。私が覚えているのは水兵に出された食事にはウジ虫がわいているというシーンで、階段のシーンはあまり覚えていない。ガイドブックによると「暴動を鎮圧する無表情な兵士たちの列が、ゆっくりと階段を下りていく、逃げまどう市民たちは次々と銃弾に倒れ、階段は血に染められていく。泣き叫ぶ赤ん坊を乗せた乳母車が階段を落ちていく場面を思い浮かべる人も多いことだろう。」とある。
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(下から見た階段)
 この階段は、1837年から1841年に造られた。おもしろいことに、上から見ると踊り場だけ、下から見ると階段だけしか見えない。また、最上段の幅は12.5m、最下段の幅は21.6mと、下に向かって少しずつ広くなっている。下から見上げたとき、いかにも堂々とした安定感が感じられるのはそのためだ。下から階段を上るのは少しきつい。そのために階段の横にケーブルカーが設置されている。私たちは昨夜、このケーブルカーに乗った。運賃は2グリヴナ24円であり、地下鉄の1区間の運賃と同じだった。
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(オデッサの市場)
 階段の見学後、再び徒歩で町の散策へと向かった。散策の後、バスでオデッサの市場に案内された。市場にはウサギの肉など珍しいものがたくさんあったが、お土産に適したものはなにもなかった。
 
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by YAMATAKE1949 | 2013-10-26 11:56 | 旅行記(海外) | Comments(0)