世界史演習21(朝鮮史18)

1 解放と強制された分断
1) 東西冷戦と北緯38度線
 1943年11月、ルーズベルト・チャーチル・蒋介石は、日本の無条件降伏の要求、日本の領土決定、朝鮮の独立などの重要事項を含むカイロ宣言を発表した。
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(浜島書店「アカデミア世界史」より ヤルタ会談については、このブログの「ウクライナ・モルドバ旅行記⑤」に興味深いエピソードを書いていますのでぜひ見て下さい。)
 1945年8月8日、ソ連は1945年2月のヤルタ協定に基づいて日本に宣戦布告し、朝鮮半島に軍隊を送り込んだ。これに対し朝鮮半島への進出に遅れたアメリカは、北緯38度戦を基準にして南側は米軍、北側はソ連軍が分担して日本軍の降伏と武装解除を受け持つことを提案し、連合軍総司令部指示第一号として発行した。しかし、それはあくまでも軍事作戦上の業務を分担するために設けられた一時的な軍事境界線に過ぎないものであったが、現実には朝鮮半島を分断する政治的境界線として今も存在している。
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(浜島書店「アカデミア世界史」より ポツダム会談については、このブログのの「ドイツ旅行記①」に興味深いエピソードを書いていますので見て下さい。)
 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾した。
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(1945年8月15日祖国の解放に歓喜するソウル市民 ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
 日本の無条件降伏が発表されるや、朝鮮の人々は祖国の解放に歓喜した。抗日闘争でで投獄された多数の思想犯・政治犯が釈放された。
 しかし、解放が直ちに独立を意味するものではなかった。日本軍の武装解除を理由に北緯38度線を境にして米ソ両軍が南と北に進駐した。ソ連はいち早く平壌に入りソ連軍将校であった金日成に臨時人民委員会を組織させた。
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(米軍の進駐 米軍政の実施は独立を切望する朝鮮人に大きな失望を与えただけでなく、米軍に対する不信の傾向さえ現れた。 ハンリム出版社「韓国の歴史」より)
 一方、1945年9月に進駐した米軍は、布告第一号を公布して、軍政施行と朝鮮総督府の旧機構・法令をそのまま機能させることを宣言した。このことは独立を切望する朝鮮人に大きな失望を与えただけでなく、アメリカに対する不信の傾向さえ現れた。
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by YAMATAKE1949 | 2013-11-08 11:06 | 授業実践 | Comments(0)