中央ヨーロッパ旅行記22(オーストリア ヴァッハウ渓谷①) 

第5日目(観光4日目)1月31日(金)
 この日は終日自由行動であったが、私たち夫婦はオプショナルツアー「世界遺産ヴァッハウ渓谷とドナウ川沿いの街メルク観光」に申し込んでいた。ツアー出発の前に、ホテルの近くにモーツアルトが埋葬された、ザンクト(聖)・マルクス墓地があるとガイドブックに書いてあったので、歩いていくことにした。なかなか場所がわからず、歩いている人に道を聞いて探したが見つからない。ようやく淋しい共同墓地を探しだした。墓地のなかにはいるとモーツアルトの墓はすぐに見つかった。
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(モーツアルトの墓碑)
 モーツアルトは1791年12月5日、35歳の若さで生涯を閉じたが、その時全くお金がなかった。そのためウィーン郊外のザンクト(聖)・マルクスという共同墓地に葬られた。家族や友人の同行がなかったため、どこに葬られたのかはわかっていない。後に推定の場所に天使像が寄り添う円柱形の記念碑が立てられた。
 ホテルに戻り、オプショナルツアーのバスに乗ったが、参加者は6名だった。私たちが向かったヴァッハウ渓谷は、ドナウ川流域で最も美しいといわれる景勝地で、特にメルクからクレムスにかけて見所が多く集まっている。古くから交通の要衝であったこの地域の岸辺には、いくつもの古城や修道院が建てられている。その中でもメルク修道院は最も有名である。
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(メルク修道院)
 現在、この修道院がそびえる岸壁の足元をメルク川がドナウ川に流れ込んで行く。この地域の歴史は古く、石器時代からの遺跡が発掘されている。ローマ人はこの付近に港を伴う砦を設置している。ゲルマン民族大移動後、ドナウ近郊には人の姿がなくなったが、やがてスラブ民族がこの地域に定住した。川の名メルクはスラブ語で「ゆるやかな」を意味するスラブ語からきている。
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(メルク修道院の全体像)
 修道院の設立は1089年、バーベンベルク家のオーストリア辺境伯レオポルト2世により、ベネディクト会修道士に城の1つが寄進されたことによる。
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(メルク修道院の入口)
 修道士の学校であるメルク修道士校が12世紀に設立されると、その図書館はまもなく、幅広い写本収集で知られるようになった。 修道院の写字室もまた、写本生産の重要な場となった。
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(メルク修道院)
 15世紀には、修道院は、オーストリアとドイツ南部の修道士の生活を建て直す「メルク再生活動」の中心となった。
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(ガーデンパビリオン)
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(修道院の天井画)
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(高位聖職者の庭)
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(皇帝回廊)
 皇帝回廊の壁にバーベンベルグ家とハプスブルク家のオーストリアの統治者達が描かれている。
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by YAMATAKE1949 | 2014-03-07 11:42 | 旅行記 | Comments(0)