中央ヨーロッパ旅行記32(チェコ プラハ③)

 聖イジー教会を北に進むと「黄金の小道」と呼ばれる路地がある。わずか100mほどの小道に、カラフルで小さな家が片側にずらりと並んでいる。
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(黄金の小道)
 「黄金の小道」という名は、ここに錬金術師たちが住み着いて実験をくり返していたという伝説に由来している。ハプスブルク家のルドルフ2世も錬金術師たちをここに住まわせ、黄金と不老長寿の薬を作らせていたと言い伝えられている。しかし実際に「黄金の小道」と呼ばれるようになったのは、プラハ城下町で発生した火災の後のことである。家を焼き出された金細工職人たちがここに移ってきたことに基づいているらしい。
 16世紀末、ルドルフ2世がプラハ城の番兵たちを住まわせるため、城壁回廊の下にあるアーケード部分を利用して小さな住居を設けた。18世紀にマリア・テレジアが、スラム化したこの路地を見かねて石造りの長屋に建て替えるよう命令を出している。19世紀末になって現在見られるような小道となった。フランツ・カフカがこの中の1軒を借り、1916年から17年にかけて仕事場として使っていた。
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(カフカが仕事場として使っていた部屋)
 「黄金の小道」は現在、15軒ほどが保存され、絵葉書やポスターなども扱う書店、工芸品、陶器など、すべて観光客相手の小さな店になっている。カフカの仕事部屋は本屋になっていて、カフカの作品や絵葉書などが売られている。
 小道を突き当たると階段があり、下っていくとダリボルカという塔に出る。中世には牢獄として使われていた場所で、拷問道具が置かれていた。
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(拷問道具)
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(拷問道具)
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(拷問道具)
 この塔の名前の由来は、こに最初に投獄された騎士ダリボルカからきている。ダリボルカは農民の反抗に加わって逮捕された。塔の中で毎晩バイオリンを弾きながら自らの境遇を歌って釈放を求めたが聞き入れられず、処刑されてしまった。スメタナはこの伝説的なダリボルカに題材を見出し、オペラ『ダリボル』を作曲している。
 プラハ城の見学を終え、私たちは城の高台からプラハの町を撮影した。
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(城の高台から見えるプラハの町)
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(カレル橋が見える)
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(プラハの町)
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by YAMATAKE1949 | 2014-03-18 11:13 | 旅行記 | Comments(0)