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フランス旅行記②(シャルトル①)

(観光1日目)
 私たちは5月26日(月)の午前8時に集合しバスでシャルトルへと向かった。パリのホテルから目的地まで約90㎞、所要時間は約1時間30分の行程である。
 予定通り9時半頃には目的地のシャルトルの町に到着した。シャルトルはパリから南西に位置した人口約4万人の小さな町である。しかし、この町はウール・エ・ロワール県の県庁所在地で古くから司教座が置かれた由緒ある都市でもある。
 この都市の歴史は古く、古代ローマ時代にはアウトリクムと呼ばれて、円形闘技場と二つの水道橋があり、ここが重要な地であったことが考古学的に確かめられている。また、6世紀初期のオルレアンの宗教会議にシャルトルの司教が出席している。
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(ピザ屋の店)
 上の写真には看板の下に鍋などがぶら下げられているが、昔の人達は字が読めなかったので看板や軒下にものをぶら下げることにより、そこが何の店であるかをしらせたのである。
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(床屋の看板)
ところで、写真の時間設定を現地の時間に変更するのを忘れてしまい、途中までの写真は皆日本時間で表されているので、ここから7時間を引くと現地時間がわかる。上の二つの写真は午前9時代である。
 シャルトルで最も有名な建物はノートルダム大聖堂で世界遺産に登録されている。
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(ノートルダム大聖堂)
 ノートルダムはフランス語で「私たちの貴婦人」という意味で、聖母マリアを指しており、世界各地のフランス語圏の都市に建てられているが、最も有名なのはパリとこのシャルトルの大聖堂である。
 シャルトルの大聖堂が史実にはじめて登場するのは、カール・マルテルの息子たちと対立していたアキテーヌ公ユノーが街を略奪し、大聖堂が破壊された743年のことである。2度目に登場するのは、ヴァイキングによって街が略奪され、大聖堂が焼き払われた858年。3度目は、再建が行われ、納骨室の上に一段高く聖歌隊席を設けられた876年のことである。この年、カール大帝の孫、カール二世から「サンクタ・カミージア(聖衣)」と呼ばれる有名な聖宝がシャルトルに奉献されているが、これは現在、大聖堂の宝物室に納められている。
by YAMATAKE1949 | 2014-06-03 11:18 | 旅行記