フランス旅行記⑪ (モン・サン・ミッシェル⑤)

私たちが見学したモン・サン・ミッシェルの北面に位置する3層のゴシック様式の建築棟の部分は、修道院の居住スペースとして13世紀に増築された部分であり、その装飾の美しさから、「ラ・メルヴェイユ」(驚嘆)と呼ばれている。

子どもたちがガイド付きでモン・サン・ミッシェルの湾内の砂地を散策していた。モン・サン・ミッシェルは海に浮かぶ神秘の修道院である。しかし近年は、人工的な堤防のせいで湾内に砂が堆積し、完全な島となることがまれとなっている。

再度モンサンミッシェルを見上げると、工事中の修道院と古い建物が見えた。さらに下に降りていくと、お墓が見えてきた。

ガイドのマリーさんによると、この墓地の中にプラールおばさんのお墓があるといっていた。そのお墓には絶えずお花が飾ってあるのですぐにわかりますとのことであったが、どの墓にも花が飾ってあったのでどれがプラールおばさんのお墓かわからなかった。お墓の横には教会があり、私たちは裏から教会に入った。

この教会の表にはジャンヌダルクの像が立てられてあった。

ジャンヌダルクはモン・サン・ミッシェルにはきたこともないのになぜ彼女の教会が建てられたのか。ジャンヌは百年戦争の時に、フランスを救えという「神の声」を聞いたがそれを伝えたのが聖ミッシェルであった。そして、この島に聖堂を建てよと司教オベールに告げたのも聖ミッシェルでありお互い共通しているからである。ジャンヌダルクについては、ルーアンのところで詳しく述べたいと思うのでここではこれ以上扱わない。
帰り道で「プラールおばさんのレストラン」のそばを通ったがそこにはおばさんが料理をしている絵が飾ってあった。


いよいよ下に降りてきて建物を見ると、この島が百年戦争の時に要塞の役割を果たしていたのだということがよくわかる。

私たち夫婦はシャトルバスで対岸のホテルへと帰ったが、その途中にあるスーパーに入った。

このスーパーで、モン・サン・ミッシェルでしか売っていないクッキーを買ったが、その入れ物の缶には面白い絵が描かれていた。

今、この缶に描かれた絵がとても人気があるとのことだ。モン・サン・ミッシェルはブルターニュとノルマンディーとの境にあり、ふたりが引っ張り合っている。

ホテルに帰りみんなで近くのレストランへと向かった。夕食は前菜に貝がたくさん出たが美味しかった。

食事には、ノルマンディー地方の地酒であるシードル(リンゴ酒)を飲んだ。

この地方は寒いところなのでぶどうがあまり育たない。そのためワインを造るよりもリンゴ酒が造られている。アルコールは4%しかなく酒に弱い私にはむいている。昼食の時に生シールドを注文して美味しかったので夜も夫婦で飲むことにした。
夜になって、モン・サン・ミッシェルの夜景を見に行ったがとてもきれいであった。





夜のモン・サン・ミッシェルはとても寒かったので厚着をして見学に行ったがやっぱり寒かった。

I bought the canned cookie of asking in horizontal souvenir people of st aubert hotel in the opposite bank of mon sun Michelle.
コメントありがとう。
おたずねのクッキー缶は、モン・サン・ミッシェルの対岸にあるサンオペールホテルの横のお土産やさんで買いました。