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フランス旅行記⑳ (ヴェルサイユ宮殿⑤)

 私たちは「王の居殿」から「王妃の正殿」へと入った。パンフレットには、「ヴェルサイユの特徴とも言える左右対称の様式は、当初『王妃の正殿』と『王の正殿』にも見られた。双方が同数の部屋をもち、装飾も同じ神や星をテーマにしたものであり、異なるのはアーチ形の局面部の絵画だけである。国王の姿は男性的で、王妃の姿は女性的である。」と書かれている。
 「王妃の寝室」にはきれいなベッドが置かれていた。
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(王妃の寝室)
 この部屋は、ルイ14世が王妃マリー・テレーズのために作り、その後マリー・アントワネットも使った。3人の王妃が利用し、19人の王子がこの部屋で誕生した。寝室に置かれているベッドの奥行きが短いのは、当時は足を曲げて寝ていたからであるらしい。
 マリー・アントワネットの小間使い頭であったカンパン夫人の『回想録』によると、当時の出産の様子がわかる。「助産婦ヴェルモンがうわずった声で『王妃がご出産です』というのを聞くと同時に多くの人々が寝室に入って騒がしくなり、王妃がお亡くなりになるのではと思われるほどだった。」と書かれているように、当時の王妃の出産は公開であった。王の子供が替え玉ではなく、ちゃんと王妃から生まれたことを証明する必要があったのだろう。
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(王妃の寝室の隠し扉)
 写真では見えにくいが、王妃の寝室には「隠し扉」があった。ガイドさんの話では、「ヴェルサイユ行進」で民衆が宮殿の中に入ってきたときに、この扉からマリー・アントワネットは逃げて王の部屋に行ったとのことである。
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(王妃の寝室)
 王妃の寝室には、マリー・アントワネットの胸像が置かれていた。これは1783年にフェリックス・ルコントが製作したものである。
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(貴人の間)
 「王妃の寝室」の横には「貴人の間」があった。この広間では、フランス王妃による公式な接見や、新たに宮廷に迎えられた婦人たちの紹介が行われた。
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(大会食の控えの間)
 王妃への謁見がかなった招待客は、ここで辛抱強く待った後、「貴人の間」か「王妃の寝室」に通された。この広間は、またコンサートや芝居にも利用された。大会食という名前は、皆の前で君主が食事をとる儀式に由来している。1764年1月1日、ルイ15世と王妃マリー・レクザンスカが幼少のモーツアルトとともにした食事は最も有名である。
 
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(アレクサンドロスの足元に跪くペルシアの王妃)
 この広間の天井には、シャルル・ル・ブラン作「アレクサンドロスの足元に跪くペルシアの王妃」という作品が飾ってあった。
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(「マリー・アントワネットと3人の子どもたち」パンフレットより)
 この広間に飾られている絵画の中で最も有名なのは、ヴィジェ・ルブラン夫人が1787年にサロンで発表した「マリー・アントワネットと3人の子どもたち」という作品である。左側に立っているのが長女で、フランス革命時代を生き延びた後にロワイヤル夫人と呼ばれた。アントワネットが抱いているのが、第2王子ルイ・シャルル。夭折した兄に代わって王太子となるが、両親とともにタンプルの牢獄に幽閉される。父ルイ16世の処刑に伴いルイ17世となるが、間もなく母からも引き離され、1795年、劣悪な環境に置かれたまま病死した。右側に立っているのが王太子ルイ・ジョゼフである。彼は1789年、まさに革命が勃発したその年に早世している。脊椎カリエスを併発した肺結核だったという。また、ルイ・ジョゼフが指差している揺りかごの中は空っぽなのだが、これはこの年に亡くなった第4子の第2王女ソフィーを暗示していると言われている。
 私たちは、「王妃の正殿」を経て「歴史の回廊」へと向かった。ここには「戴冠の間」があった。
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(1804年12月2日、パリ・ノートルダム寺院における皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠)
 この部屋には、ジャック・ルイ・ダヴィッド及びジョルジュ・ルジェの有名な作品「1804年12月2日、パリ・ノートルダム寺院における皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠」という絵画が置かれてあり、この部屋の名前の由来になっている。ガイドさんの話では、この作品と同じものがもう一つルーブル美術館にもあるが、作者は少しだけ絵の色を変えている。
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(戴冠式の5人の女性)
戴冠式に出席している5人の女性の服の色がルーブルにあるものと変えているのである。私たちは、この後ルーブル美術館に行ってそれを確かめ写真に撮ってきた。明日のブログでその違いが皆さんにもわかるだろう。
 私たちは「戴冠の間」を見学した後、ヴェルサイユ宮殿をあとにしてレストランへと向かった。
by YAMATAKE1949 | 2014-06-26 11:18 | 旅行記