14~16世紀の東アジア(明代中国を中心に)をどう教えるか②

【授業展開】
地図
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
資料①
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(第一学習社「最新世界史図表」より)
資料② (六諭)
1 父母に孝順なれ 2 長上を尊敬せよ 3 郷里に和睦せよ 4 子孫を教訓せよ 5 各々の生理(生業)に安んぜよ 6 非為(悪事)をなすなかれ

問 上の資料①に明は江南からおこって中国全土を統一した王朝とあるが、なぜこの頃に江南から統一王朝が生まれたのか。また、光武帝が皇帝権の強化のために資料の記述以外にどのようなことを行ったのか。
(解説) 
江南地方の経済・社会・文化的発展が中国全土の統一を可能にしたことを理解させる。また、光武帝は宰相制度を廃止して、官僚組織と軍隊を皇帝が直接支配する体制を成立させた。一方、安定した農村支配を実現するために自作農を中心とする里甲制を理想としたが、現実には地主が支配する郷村を国家の地域支配に利用した。一方、地主層も官僚となって国家権力の内部に入っていった。そのため明・清時代は地主が支配する社会であったといえる。
問 上の地図から明の北方にどのような勢力がいたのか、この勢力に苦しめられた明が取った対策は何か。また、地図の中で赤い矢印で書かれているものは何か、それはどんな活動をしたのか。
(解説) 
モンゴル系のオイラートやタタールの侵入に苦しめられた明がその対策として建設したものが万里の長城である。現存する万里の長城の大部分は明代に作られたもので、全長2700㎞を超え、月からも見えるといわれている。また、赤い矢印は倭寇を意味する。14世紀後半、西日本の土豪・商人や漁民が船団を組み、略奪を伴う通商活動を行った。15世紀前半には日明間に勘合貿易が行われ、倭寇は一時おさまったが。16世紀になると再び活発化したが、この時期の倭寇は、密貿易を行う中国人が主体であった。北方と南方の活動をあわせて北虜南倭と呼び明が衰える原因となった。
問 地図の青い線は何か。そして、それはどのような役割を果たしたのか。
(解説) 
青い線は「鄭和の遠征路」をあらわしている。鄭和の大遠征は1405~1433年において7回もおこなわれ、訪問国が三十数カ国にものぼり、その主力船の大きさが現在の八千トン級に匹敵する。その最も重要な目的は明王朝の国威を各地に広げ、朝貢を促すことであったといわれている。明では皇帝独裁体制のイデオロギーだけでなく、対外支配にも儒教的な倫理が利用された。モンゴルの支配した元に代わって正統な漢民族の皇帝が復活したこと(中華帝国の成立)を内外にアピールする必要があり、その現われが「鄭和の遠征」であった。
問 地図に桃色でぬられている地域は現在のどこの国にあたるか。この地域で13世紀に成立しモンゴル人の3回にわたる侵略を撃退した王朝は何か。この地域で漢字を利用して作られた文字を何と呼ぶか。またなぜこのような地域で文字が作られたのか。この王朝の後、明軍を破って建てられた王朝を何と呼ぶか。
(解説) 
ヴェトナムで13世紀に陳朝が成立した。チュノムという文字でモンゴル軍を撃退したことから民族意識の高まりをあらわしている。陳朝が滅びると明の永楽帝がヴェトナムを一時支配したが、黎氏が明軍を破って黎朝を建てた。
問 「六諭」はどのような目的で出されたのか。
(解説) 
儒教の教える社会秩序である「君―臣―民」(皇帝を頂点としてその下に官僚がその下に民が存在する)の考えが皇帝独裁体制にとって都合がよかった。そして、儒教的倫理である「六諭」によって農民支配の徹底化がおこなわれ、日本の江戸時代にも受け継がれた。
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by YAMATAKE1949 | 2014-08-04 07:53 | 授業実践 | Comments(0)