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第6回日本史講座のまとめ④(白鳳文化)

4 白鳳文化
1) 特色
 白鳳文化とは、645年の大化の改新から710年の平城京遷都までの文化をさしている。この時代は、天武・持統朝を中心に唐の律令制をまねてつくられた律令国家の意欲を反映しており、中国風都城の藤原京を中心とした天皇や貴族中心の華やかな文化である。また、初唐文化の影響をうけたあらたな仏教文化が花開いた。ところで、名前の由来となった白鳳という元号は日本書紀にはなく、続日本紀に表れており、天武天皇の年号であるとされているが確かなことはわからない。
2) 仏教の伸展
 天武天皇は国を守る宗教として仏教をあつく保護し、官立の大寺院を官寺として、藤原京の大官大寺(だいかんだいじ)(のちの大安寺)や薬師寺、飛鳥の川原寺(弘福寺)(ぐふくじ)などをつぎつぎに建立した。国家によって保護された仏教は地方に急速に広まり、郡司らは氏寺(うじでら)を建立していった。また、中国から経典や注釈を集大成した一切経(いっさいきょう)がもたらされ、経典の書写や研究もはじまった。一切経は大蔵経(だいぞうきょう)とも呼ばれ、仏教の聖典を集大成したもので、釈迦の説法についての経、仏教徒の生活を規定した律、教義に関しての注釈などを集めた論からなっていた。
3) 仏像
 仏像では、初等様式の明るさと迫力にあふれた興福寺仏頭(こうふくじぶっとう)や薬師寺金堂薬師三尊像(やくしさんぞんぞう)・同東院堂聖観音菩薩像(とういんどうしょうかんのんぼさつぞう)などが生まれた。興福寺の仏頭は、飛鳥にあった山田寺の本尊として7世紀後半に制作されたが、平安時代の末期に興福寺の僧兵によって奪いとられた。山田寺丈六物(じょうろくぶつ)とも呼ばれている。また、薬師寺は藤原京で建立され、のちに平城京に移ったため、薬師三尊像や東塔は、藤原京でつくられたという説と、平城京であらたにつくられたとする説がある。
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(三省堂「日本史B」より)
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(三省堂「日本史B」より)
4) 絵画
 絵画では、インド・西域(さいいき)の壁画に影響をうけた法隆寺金堂壁画や飛鳥の高松塚古墳壁画などが描かれた。特に法隆寺金堂壁画の阿弥陀浄土図に描かれた菩薩像には、インドのアジャンタ石窟寺院に描かれた壁画に似ており、グプタ様式の影響をうけたといわれている。私は、インドでアジャンタ石窟寺院の壁画を、さらに中国では敦厚莫高窟(とんこうばっこうくつ)の観音菩薩像も見たが、インドの仏教壁画がシルクロードを通って飛鳥に渡ってきたことがよくわかる。しかし、法隆寺の金堂壁画は1949年の火災で焼失してしまった。
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(東京書籍「図説 日本史」より)
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(東京書籍「図説 日本史」より)
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(東京書籍「図説 日本史」より)
5) 文学
 百済の亡命貴族がもたらした漢詩文が流行し、貴族の教養とされるようになり、大津皇子(おおつのみこ)らのすぐれた作家が生まれた。また漢詩文の流行は、日本古来の歌謡に起源を持つ和歌にも影響をあたえ、五音や七音を基本とする短歌・長歌などの形式を生み出し、額田王(ぬかたのおおきみ)や、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)らの歌人が出た。この時代の漢詩文や和歌は、それぞれ『懐風藻(かいふうそう)』と『万葉集』におさめられている。
 次回の第7回日本史講座は、10月25日(土)午後2時よりおこなう予定です。
by YAMATAKE1949 | 2014-10-15 10:06 | 日本史講座