ポーランド旅行記⑤(ボズナニ①)
バスは予定通りボズナニに午後7時頃に到着し、レストランでの夕食後、ホテルへと向かった。
(観光2日目)
ボズナニは、ポーランド初代君主ミェシコ1世がポーランド王国をおこした町であり、968年から1038年にかけてポーランド最初の首都として栄えた古都で、日本でいえば奈良(大和)にあたる町である。ちなみに初代君主ミェシコ1世は、ポーランドの紙幣10ズローチの肖像となっている。
ポーランドの首都は、ボズナニからクラクフに移転されたが、この町は東西交易の中継地として発展し、現在ポーランド第5の都市として、国内最大のメッセ(国際産業見本市)が毎年開催されるなど、商業都市としても繁栄している。
私たち夫婦はホテルでの朝食の後、周辺の散歩へと出かけた。ホテルの近くにはアダム・ミツキエヴィッチ公園があり、大きなモニュメントがあった。
このモニュメントは、「1956年に『パンと自由』を求めて労働者たちが立ち上がった、共産党政権下で最初に起こった民衆暴動であるボズナニ暴動の記念碑である。2本の十字架を合体させたような、労働者たちの苦しい戦いを象徴したコンクリートの巨大なモニュメントである」とガイドブックに書かれていた。
ポーランドではバスよりもトラム(路面電車)を多く見かけた。
私たちは午前8時にバスでボズナニ市内観光へと向かった。ここで初めて現地ガイドが案内してくれた。名前はヒストラーさんで、可愛い女性であった。
彼女の話によると、昨夜の雪が今年初めて降った雪だとのことである。しかし、バスでトルンからこの町に来るときにも雪景色は見ていたが、それは年末に降った雪が残っていたとのことである。ところで、この町の名前の由来は、ボズナニ伯爵の名前から来ていると教えてくれたが、ネットで調べてみると、「有名な人の(持つ)街」ないし「有名な街」という意味から来ていると書かれている。町の名前の由来には、いろいろな説があるのだろう。
私たちが最初に、見学したのはボズナニ大聖堂である。
大聖堂内部の写真撮影はフラッシュが禁止されていたので、きれいな写真を撮ることができなかった。
この大聖堂は、966年にポーランド初代君主ミェシコ1世がキリスト教を受け入れ、その直後に建造されたポーランド最古の教会だ。第2次世界大戦で焼失し、現在の建物は戦後、当時のゴシック様式で再建されたものである。写真には撮ることができなかったが、大聖堂内にある金の礼拝堂には、初代君主ミェシコ1世とその息子のボレスワフ1世の像が立っているとガイドブックに書かれている。ちなみにボレスワフ1世もポーランドの紙幣20ズローチの肖像となっている。
大聖堂の敷地の一角には、ローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世(1920-2005)の彫像が建っていた。
彼はポーランドのクラクフ郊外の出身者で、史上最初のスラヴ系出身の教皇である。彼は、世界平和と戦争反対への呼びかけと、数々の平和行動を実践し、母国ポーランドを初めとする民主化活動の精神的支柱としての役割もを果たした人物である。