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第15回日本史講座まとめ①(院政の開始)

 第15回日本史講座は3月14日(土)午後2時より、受講者9名で行われました。
 Ⅰ 院政と平氏政権
1 院政の開始
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(東京書籍「図説日本史」より)

1)後三条天皇
 摂関家の藤原頼通(よりみち)の娘に皇子が生まれなかったため、摂関家を外戚としない壮年の後三条天皇が即位することとなった。天皇は、藤原氏に不満を持っていた中・下級貴族らの支持を得て、学者の大江匡房(おおえのまさふさ)らを登用して親政を復活させた。
 1069年、後三条天皇は、荘園の拡大で公領が減少したため、荘園整理令を出して摂関家領をはじめとするすべての荘園を中央で調査し、不法なものを没収して公領の回復につとめた。朝廷に記録荘園券契所(記録所)を設置して荘園領主から関係文書を提出させ、基準にあわない荘園を整理するという徹底したもので、摂関家や寺院・神社も例外ではなかった。
 さらに天皇は、全国の耕地の調査を行うとともに、不ぞろいであった升(ます)にかえて一定して計量の単位を統一した。これを宣旨枡(せんじます)といい、その後の升の基準として広く用いられることとなった。
2) 白河天皇
 白河天皇も父の後三条天皇の政策を受けついで政治をすすめたが、1086年、わずか8歳の堀河天皇に位をゆずり、上皇となった。これは、摂関家や先例などの政治的制約の少ない上皇の立場を利用して、天皇家の権力の強化をめざそうとしたためであったがこれが院政のはじまりである。
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(東京書籍「図説日本史」より)
3) 院政
  院政は白河天皇ののち、鳥羽(とば)・後白河両天皇にも引きつがれておよそ100年あまり院政がつづくこととなった。
 白河上皇は、富裕な受領を官位によらず院の近臣に登用したり、北面の武士に平正盛など畿内近国の武士を組織するなど、慣例や先例にとらわれない政治をおこなった。
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(東京書籍「図説日本史」より)
by YAMATAKE1949 | 2015-03-20 09:59 | 日本史講座