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第19回日本史講座まとめ③(農村の変容)

 Ⅲ 鎌倉時代の産業と都市
1 農村の変容
1) 荘園の支配関係
 この時代の社会の基盤は農村であり、そこには農業にたずさわる農民はもちろん、武士・僧侶・商人・手工業者らも住んでいた。農村の多くは荘園で、なかには国司の支配する国衙領で、郷(ごう)・保(ほ)などと呼ばれたところもあるが、実質的には荘園とおなじであった。
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(山川出版社「日本史研究」より)

 そこでは平安後期以来、名主と呼ばれる地主層が土地経営の中心となっていた。彼らは荘園内に屋敷をかまえ、屋敷の一隅に下人・所従を住まわせた。これらの人々を使って佃(つくだ)を直接に経営し、残りの土地は請作(うけさく)に出して作人に耕作させた。
 名主のなかで有力な者で武士となった者は荘園領主から荘官に任命されたり、御家人となって幕府から地頭に任命されたりして、村の支配的地位を占めていた。

2)農民の負担
 名主や作人などの農民たちは領主に対して貢租を納めた。貢租には田地に課するものと畑地に課するものとがあった。田地に課する貢租には本年貢が中心で、名主は収穫の30~40%を領主に納め、作人は名主の倍以上を納めた。作人の負担には本年貢のほかに、小作料としての加地子(かじし)を含んでおり、加地子は名主の収入となった。畑に課する貢租は、作物によって差があり、麦ならば反別1~2斗、麦と蕎麦ならばそれぞれ6升ずつ納めている。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

 農民の負担には、以上のほかに公事(くじ)と夫役(ぶやく)がある。公事とは塩・海苔などの海産物や薪炭・蔬菜など各地の特産物を納めるもので、税率は定まらず、内容も雑多であった。夫役とは人夫役のことで、そのおもなものは佃の耕作、堤防や地溝の築造・修理などの土木工事、領主の屋敷・倉庫の警備や貢租の運搬などであった。
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(山川出版社「日本史研究」より)

2 産業の発展
1) 農業生産力の発展
 鎌倉中期になると、農業生産は耕地の拡大にかわって一定の面積で多収穫をめざす集約的な方向にすすんだ。肥料としては人糞尿(じんぷんにょう)のほか、刈敷(かりしき)・草木灰(そうもくかい)の普及や、牛馬の使用などの農業技術の改良によって、平安時代後期に水田で麦を裏作とした二毛作が機内や西国で広く行われるようになった。畑作でも夏は豆類・冬は麦という二毛作が定着し、荏胡麻(えごま)や楮(こうぞ)・藍(あい)などの原料作物の栽培や加工も盛んになった。
2) 農村に手工業者の発生
 農村のなかに鍛冶・鋳物師(いもじ)などの手工業者も生まれ、絹や麻を織って武士や農民の需要に応えられるようになった。
3) 漁業の発達
 若狭(わかさ)や伊勢・志摩(しま)、瀬戸内海沿岸の地方では漁業を専業とする村も生まれた。漁村では刀禰(とね)と呼ばれる上層漁民らによって運営され、彼らは魚や貝、海藻(かいそう)塩などの海産物を年貢・公事として貴族や寺院・武士に納めたり、それらを地方の市に運んで交易した。

 次回の第20回日本史講座は、5月23日(土)午後2時よりおこなう予定です。
by YAMATAKE1949 | 2015-05-12 10:01 | 日本史講座