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第22回日本史講座まとめ①(鎌倉文化 文芸と芸術の新気運)

 第22回日本史講座は6月27日(土)午後2時より、受講者7名で行われました。
3 文芸と芸術の新気運
1) 軍記物・説話集
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

 平安時代末に生まれた軍記物や説話集は、鎌倉時代においても魅力ある作品を生み出した。軍記物では『保元(ほうげん)物語』や『平治物語』についで書かれた『平家物語』は、仏教にもとづく無常観を背景に平氏の興亡を簡潔な文章で生き生きとえがき、盲目の僧侶の琵琶法師(びわほうし)によって語られたが、これを平曲(へいきょく)と呼び各地で親しまれた。
 説話集では『宇治拾遺(うじしゅうい)物語』・『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』・『十訓抄(じっきんしょう)』・『沙石集(しゃせきしゅう)』などが生まれた。『宇治拾遺物語』は『宇治大納言物語』からもれた話題を拾い集めたもので、インド・中国・日本三国を舞台とし、「あわれ」「をかし」「恐ろしき」話など多様な説話を集めたものであるが、平安末期に書かれた『今昔物語集』とは同じ説話が80余りも重複している。芥川竜之介の短編小説「芋粥」の題材もここから取られている。また、民間伝承には、「わらしべ長者」「雀の恩返し」「こぶとりじいさん」など有名な昔話がある。ところが、受講者の多くの人が「わらしべ長者」の題名は知っていたが、内容は知らなかった。また、「雀の恩返し」は題名も内容も全く知らなかった。

2) 隠者の文学
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(東京書籍「図説日本史」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

 俗世間と縁を切り、隠者(いんじゃ)となって和歌や文学をたしなむ人々もあらわれた。西行(さいぎょう)は北面の武士をやめて出家し、諸国を流浪しながら歌を詠んだ。
 鴨長明(かものちょうめい)は『方丈記(ほうじょうき)』をあらわして人間の一生などすべてを無常であると説いた。彼は京都日野山に一丈四方の狭い庵(あん)をむすんでこの随筆を書いたので、書物の名がここからとられている。
 鎌倉時代末期には卜部兼好(うらべけんこう)があらわれ、社会と人々を鋭く観察した随筆『徒然草(つれづれぐさ)』を残している。ところで、吉田兼好と呼ぶのは江戸時代の俗称であるといわれている。
3) 和歌集・歴史・学問
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

 貴族の間では漢詩文にかわり、後鳥羽上皇の命令で藤原定家(ていか)らによって『新古今和歌集』が編纂された。優美で技巧的な歌風は新古今調と呼ばれたが、彼の歌をまねたものが多くなり、歌壇はしだいに停滞した。一方、西行が『山家集(さんかしゅう)を出し、3代将軍の源実朝(さねとも)が万葉調の和歌を詠み『金槐和歌集』をつくるなど歌壇に新風を送った。
 歴史では僧侶の慈円(じえん)が承久の乱の直前に『愚管抄(ぐかんしょう)』をあらわし、武士社会への移り変わりを「道理」と説いた。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

 武士の間でも和歌などのたしなみが重んじられ、学問に関心をよせる北条実時(さねとき)のような武将もあらわれ、武蔵金沢に多くの書物を集めた金沢文庫がもうけられた。幕府は頼朝挙兵以来の幕府の歴史を『吾妻鏡(あづまかがみ)』にまとめた。
by YAMATAKE1949 | 2015-06-29 10:08 | 日本史講座