第33回日本史講座まとめ⑤ (支配機構の整備)
1) 職務の整理
幕府の職制の整備もすすめられた。「庄屋仕立て」といわれるように、幕府の職制は三河の土豪時代の小さな組織が、必要に応じてしだいに拡張・整備されたもので、その性格は軍事的・実際的なもので、ようやく3代将軍家光の頃に完成された。
1635年、家光は、年寄を新たに老中とし、2万5000石以上の譜代大名の中から任命された。必要に応じて臨時に老中の上に大老が置かれたが、10万石以上の譜代大名が担った。老中の職務は、大名統制・外交・財政などの重要政務を担当させ、老中を補佐する若年寄を設けて旗本らの統制にあたらせた。老中のもとには多くの役職が置かれたが、寺院・神社の管理と統制を行う寺社奉行や、天領の行政と財政をつかさどる勘定奉行、江戸市中の警察と行政を担当する町奉行は、特に重職で三奉行と呼ばれた。
2) 幕政の運営
権力の集中を防ぐため、老中は4~5人で構成され、月ごとに当番を決めて政務の責任をとらせ、司法や警察の重要事項については、老中に三奉行や大目付らが加わった評定所で採決するようにした。
3) 直轄地の支配
江戸以外の重要な幕府の直轄地には、京都所司代のほか、京都・大坂・駿府(すんぷ)などに城代や町奉行を、貿易拠点の長崎や、宗教上の要地、伊勢神宮の宇治山田や東照宮のある日光、金山の佐渡などには遠国(おんごく)奉行を設け、それ以外の天領には、郡代や代官を配置した。
次回の第34回日本史講座は2月13日(土)午後2時よりおこなう予定です。