第36回日本史講座まとめ② (正徳の治)

2 正徳の治
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
1) 新井白石の政治
 1709年、綱吉が亡くなると、甥の家宣(いえのぶ)が甲府からはいって6代将軍となり、それから4年後には家継ぐ(いえつぐ)が7代将軍の地位に就いた。この7年間にわたり将軍を補佐したのが儒学者の新井白石(あらいはくせき)であり、この間の政治を年号にちなんで正徳の治と呼ばれている。白石は側用人の間部詮房(まなべあきふさ)と協力して幕政の刷新にあたったが、その政治の特徴は、儒学にもとづく理想主義的な政治を推進したことにある。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 政策
 白石は、まず生類憐みの令を廃止し、幕府の儀式などを整備して将軍の威信の回復に努めた。さらに財政の再建をめざして、朝鮮通信使の接待を簡素化した。当時、通信使に対する接待費は1回ごとに100万両にのぼる盛大な歓迎式であったが、財政赤字のために歓迎式は中止となった。さらに白石は、閑院宮家(かんいんのみやけ)の新設や、7代将軍家継と皇女との婚約など、綱吉と同じように朝廷との協調に務めた。白石はまた、経済の混乱を解決するため、勘定奉行の荻原重秀をやめさせて貨幣改鋳をおこない、1714年に良質の正徳小判などの貨幣を発行した。さらに、長崎貿易による金銀の海外流出を防ぐために海舶互市新例(かいはくごししんれい)を出して輸出を制限した。この新例は、1685年に1年間の貿易額を、唐船銀6000貫目(もんめ)、オランダ船3000貫目としていたが、白石は、中国船30隻、オランダ船2隻と入港船数にも制限を加えたものである。
 こうして正徳の治によって幕政は一応の安定をみることになったが、白石の理想主義的な政策は実情にあわないことが多く、側近政治への幕臣らの反発も強かった。また、貨幣の改鋳をおこなったものの、発行量が現実の需要にみあわなかったために、かえって経済の停滞を招く結果となった。
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(山川出版「日本史研究」より)
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by YAMATAKE1949 | 2016-03-14 08:26 | 日本史講座 | Comments(0)