ベネルクス3国旅行記2 (ハーグ①)

(観光1日目)
 翌朝、私たち夫婦は朝の散歩に出かけた。先ず、ハーグ駅の見学に向かった。駅には改札口がなく誰でも停車している電車を身近に見ることができる。
a0226578_9201732.jpg
(駅の構内)
 オランダでは駅構内の上を電車が走っていた。日本ではこんな駅はないだろう。そういえばスキポール空港では、高速道路の上が飛行機の滑走路となっており、バスの車窓から高速道路の上を飛行機が飛び立つのを見た。
a0226578_9242341.jpg
(駅構内の上を電車が走っている)
 ハーグは北海に面するオランダ第3の都市で、国会議事堂など政府機関、各国大使館、国際司法裁判所などが集まっており、オランダの政治の中心地である。都市の正式名はスフラーフェンハーヘであり、「伯爵の生け垣(領地)」を意味する。オランダの名称の由来となったホラント伯爵が、13世紀にこの地に狩猟の館を建てたことに由来している。1588年にスペインから独立してネーデルランド連邦共和国が成立すると、ここに政府が置かれた。その後、19世紀にアムステルダムが首都となったが、政府はハーグに置かれたままとなった。1899年と1907年には万国平和会議がここで行われた。特に歴史の授業では後者の万国平和会議が重要である。日露戦争に勝利した日本が韓国を保護国化すると、韓国国王がこの万国平和会議に密使を送って、韓国の現状を訴えようとした事件である。これを日本史では「ハーグ密使事件」と呼び、これを知った日本は韓国国王を退位させ、韓国軍隊も解散させるという弾圧をおこなったのである。
 駅の近くには運河があったが、おそらく北海につながっているのであろう。
a0226578_1027124.jpg
(駅の近くの運河)
 運河の近くには旧市街があり、古いオランダの建物が並んでいた。
a0226578_1029461.jpg
(ハーグの旧市街)
a0226578_10303610.jpg
(ハーグの旧市街)
 私たちは午前8時15分にバスに乗ってハーグ観光へと向かった。現地ガイドは添乗員と同じ名前の中川さんで、彼は親の仕事で5歳の時に日本を離れ、シンガポールやイギリスなどの国々に住み、その後オランダに住み続け、とうとうオランダの国籍を持つようになった。
a0226578_10453858.jpg
(真ん中の人が現地ガイドの中川さん)
 私たちがまず最初に訪れたのは国際司法裁判所が設置されている平和宮である。
a0226578_10365360.jpg
(平和宮)
 この平和宮の建物は、アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの寄付によって1913年に完成したものである。建設は、敷地をオランダが提供し、建物の内部の装飾品や建材の大理石などはすべて世界各国が寄贈したものである。
 次に訪れたのがビネンホフ(中庭という意味)と呼ばれる所で、国会議事堂や総理府などの建物が集まった場所である。その中で最も古いのが13世紀にフロリス5世によって建てられた騎士の館と呼ばれる国会議事堂である。
a0226578_1121715.jpg
(騎士の館)
a0226578_11225385.jpg
(ビネンホフ)
a0226578_1125332.jpg
(ビネンホフ)
 
 
[PR]
by YAMATAKE1949 | 2016-04-25 11:25 | 旅行記 | Comments(0)