ベネルクス3国旅行記6 (ブルージュ①)

(観光2日目)
 4月13日(水)の午前7時30分、私たち夫婦はブルージュの朝の散歩に出かけることにした。
 添乗員さんが配布した地図を頼りに、旧市街の端にあるゲント門へと向かった。ブルージュの旧市街を歩いたが、あまり人影を見かけなかった。
a0226578_9255064.jpg
(人通りのない旧市街)
 私たち夫婦は10分足らずでゲント門に到着した。
a0226578_96472.jpg
(旧市街から見たゲント門)
a0226578_921771.jpg
(新市街から見たゲント門)
a0226578_1011785.jpg
(運河に架かっている橋から眺めた景色で、左側が新市街右側が旧市街)
 ブルージュとは橋という意味で、町を流れる運河には、50以上の橋が架かっている。旧市街は卵形の運河で囲まれており、町と外部を結ぶ橋には13~14世紀に城門が築かれた。南東に築かれたのがゲント門で、東にあるのが十字の門、北西にはロバの門がある。
 ブルージュで購入したガイドブックには、この町の古い地図が載っている。
a0226578_9451099.jpg
(ガイドブックより)
 この本によると「これは7世紀から9世紀にかけてツィン川の河岸に小さな居住地ができたことに始まる。最初、この地に住みはじめた人々は、ここをブリーギアと呼んだ。そこにはフランドル伯爵によって建設されたブリュグと呼ばれる城塞がありそれを取り囲んで町ができ、この町は海に続く航路となる川があったおかげで、商業の重要な中心地となった。そしてブルージュは、ついにフランドル伯爵が住居を構え、独自のお金を発行するほど、重要な町となった。そして13世紀頃、ブルージュは国際港となっていた。しかし15世紀頃より、ツィン川が埋まり、グルージュは経済的衰退やむなきにいたった。そしてアントワープがブルージュにとってかわった。」と書かれている。
 私たちは現地ガイドの古賀さんの案内で、午前8時30分頃に徒歩でブルージュの町を散策した。古賀さんはベルギー人の男性と結婚して子供4人のお母さんである。古賀さんは若い頃から剣道をやっており、ご主人とは日本で剣道を通じて知り合い、結婚してこちらで道場を開いている。ベルギーでは剣道がとても人気があるらしい。
 私たちが最初に訪れたのはベギン会修道院である。
a0226578_10563488.jpg
(ベギン会修道院)
 ガイドブックによると、「ベギン会修道院は、フランドル伯爵夫人によって1245年に建設された。・・・ベギン会修道女たちはグランドゥ・ドゥモワゼル(司祭か?)の監督のもとに生活していた。祈りの他に、ベギン修道院に沿って流れる運河の水で、彼女たちは織物をするための羊毛を洗ったりしていた。フラン周防、フィリップ・ル・ポールが、このベギン会修道院から、ブルージュ行政官の司法権を取り除いたこの時より、<君主のベギン会修道院>という肩書きを授与された。そして、ブルージュにおけるベギン会修道会が絶えたのは、1928年であった。1930年にはベギン修道院は宗教的雰囲気を取り戻した。それは、そこにベネディクト派の修道女たちが入り、ベギン会修道女たちの住居を改造し住んでいる。」と書かれている。
 ネットによるとベギン会とは、「中世に起源をもつ,女性による半修道会的集団。修道会のような入会誓約は課されないが,厳格な共同生活規約をもち,神秘的な瞑想による静穏な修道生活を理想とし,首導者のもとに,処女または寡婦の会員たちは,隔絶された会院内で起居した。ただし,個人的財産は所有されたままで,共同財産に組みこまれず,また脱会によって結婚することもできた。」と書かれている。ガイドの古賀さんによると、最初ここに入った女性たちは十字軍の未亡人が多かった。ベギン会修道院の周りには野生の水仙がきれいに咲いていた。
 次に私たちはベギン会修道院の近くにある「愛の湖公園」と呼ばれる場所へと向かった。
a0226578_11271119.jpg
(公園から見える景色)
 ここは中世ブルージュの内港だった所で、今では運河と水門で仕切られた湖となっている。
a0226578_1157577.jpg
(「愛の湖公園」の水門)
 「愛の湖公園」にはたくさんの白鳥が泳いでいた。
a0226578_1213149.jpg
(「愛の湖公園」の白鳥)
 なぜ「愛の湖」という名がついたのかとかとガイドの古賀さんに聞いてみると、「昔ここは共同の貯水池で、ベルギーでは、共同というのはミネンという言葉で、そこには愛という意味が含まれており、このように名付けられた。」という答であった。
 
[PR]
by YAMATAKE1949 | 2016-04-29 12:07 | 旅行記(海外) | Comments(0)