ベネルクス3国旅行記8 (ブルージュ③)

ガイドブックによるとこのゴシック様式の建物は、1376年に建てられたもので、フランドルで最も古いものである。建物正面の48の像は聖書の聖人達やフランドルの君主達を表している。
市庁舎の横にある建物は公文書館である。

ガイドブックによると、「昔の記録保存所は、フラマンのルネサンス期における建造物である。彫像作品は1792年破壊の後新しく作られたものである。ブロンズの像は立法者モーゼ、偉大な聖職者アーロンと正義を讃えたものである。最初、この建物は町の記録保存所として使用された。フランス革命後は警察署の事務室として、1883年以降は裁判所として使用されている。」と書かれている。
ブルク広場には観光用のたくさんの馬車がとまっていたが、その右側のバロック様式の建物が裁判所である。

ガイドブックによると、「これは、すでになくなったサン・ドナション大僧院の司教座聖堂主席司祭官の主館である。1089年から1559年までの間は、教会の識者はすべてフランドルの世襲騎士であった。そして、1599年にはブルージュに司教の座が作られ、司教座聖堂主席司祭の肩書きは、最初の司教へと書き換えられた。」とかかれているが、この建物はもともとはブルージュ司教の館であり後に裁判所となった。
ブルグ広場から私たちはマルクト広場に入った。マルクト広場のマルクトとは市場(マーケット)のことで、市庁舎やギルドハウスがこの広場に面して立地していることが多いが、ブルージュのマルクト広場もそうである。
私たちがマルクト広場に入ると、広場はたくさんのトラックに占領されていたが、何かの催しがあるらしい。

広場の中心にかすかに見えるブロンズの銅像は、ブルージュの肉屋ジャン・ブレイデルと織物工ピーター・ドゥ・コニンクである。カメラに撮ることができなかったのでガイドブックから紹介しよう。

ガイドブックによると、「二人とも1302年のフランスからの独立戦争の熱烈な戦士であった。このフランドルの民衆の英雄像は1887年、ドゥ・ヴィニュとドゥ・ラ・サンスリーの作である。台座には激戦の模様が刻まれている。」と書かれている。
私のトラックに占領されたマルクト広場の写真の右側にきれいな階段式の切り妻屋根の家々が見えるが、それらはかってギルドハウス(同業組合の家)であった。これもガイドブックから紹介しよう。

マルクト広場の全体像をカメラに撮ることができなかったので、これもガイドブックから紹介しよう。

マルクト広場に面した高い塔は鐘楼で、その背後にある建物は市場である。

ガイドブックによると、「これは、1240年頃建設されたもので、木で作られた塔であった。そして、ここは町の行政官達の会議室として使用されていた。しかし1280年の火災によって、塔も古文書類も宝物殿も焼失してしまった。人々は今度は新しく石の塔を作り、これが完成されたのは1300年頃である。これら二つの建築物全体は、長さ84m、幅45mある。」と書かれている。
塔の左側にある立派な建物は州庁舎と郵便局である。

