ベネルクス3国旅行記17 (ブリュッセル①)
しかし、グランプラスを取り囲む建物は1695年8月13日、ルイ14世の命令によるフランス軍の砲撃で大半の木造建築が破壊され、残されたのは石造の市庁舎だけである。そのため現在の建物はその後に様々なギルドによって石造によって再建されたものである。
西側の建物は各種のギルドハウスが列んでいる。
市庁舎は1402年から1455年の間にゴシック・フランボワイヤン様式で建造されたものである。この建物は中世におけるグランプラスの建築様式を伝える唯一の証人となっている。
「王の家」と呼ばれている建物 は、12世紀以降パン市場として親しまれた木造建築物で、15世紀になると石造にかわり、ブラバント公の行政庁が置かれた。これが理由で人々はこの建物を「公の家」と呼ぶようになり、公がスペイン王になると「王の家」と呼ぶようになった。のちにカール5世は自分の塔をゴシック様式で建てさせた。その後1695年の砲撃などで損傷したため、現在のものは1875年にネオゴシック様式で再建されたが、さらに1985年に改築され、現在は市立博物館になっている。
南側の建物も各種のギルドハウスが並んでいる。
1882年に建築された館は、正面に歴代のブラバン公の胸像が飾られているため、この名前で呼ばれている。正面部分はコロサルといわれる建築様式が用いられているが、古典建築と呼ばれるこの様式は、バロック様式であるイタリア・フラマン様式を変化させたものである。建物はイタリアの影響を受けているとされているが、屋根の形状はフランスの影響を受けている。
グランパレスを見学した後、私たちは「小便小僧」を見に出かけた。途中、ホテル・アミーゴという建物があった。
ガイドブックによると、「この建物は16世紀~19世紀に監獄として使われていた所。フランデレン語で監獄の意味を持つ「VRUNTE」という言葉が友達の意味の「VRIENDT」と発音が似ているため誤訳され、「アミーゴ」(スペイン語で友達)と呼ばれるようになった。1873年にフランスの詩人ヴェレーヌが詩人ランボーに発砲しここに投獄されたことでも有名」と書かれている。
「小便小僧」は想像以上に小さな像であった。
小便小僧は世界中どこにでもあるが、ブリュッセルの像が起源とされている。1619年にフラマン人彫刻家ジェローム・デュケノワによって製作された。その由来には諸説ある。その一つは、ブラバント公ゴドフロワ2世に関する説。1142年、当時2歳のゴドフロワ2世率いる軍は、グリムベルゲンでの戦いの際、戦場の兵士を鼓舞するため、ゆりかごに幼い支配者を入れて木に吊るした。 そこから公は敵軍に向かって小便をし、味方軍を勝利に導いたという。一つは、反政府軍がブリュッセルを爆破しようとしかけた爆弾の導火線を小便をかけて消し、町を救った少年がいたという武勇伝説。この少年の名はジュリアンといい、小便小僧の愛称「ジュリアン坊や」はここに由来するといわれている。