ベネルクス3国旅行記31 (アムステルダム観光①)

 キューケンホフ公園の見学後、私たちはバスでアムステルダムに戻った。アムステルダムに着いたのは12時10分頃で、レストランでランチを食べた後、いよいよこのツアーの最後となるアムステルダム観光へとバスで向かった。先ず、マヘレの跳ね橋が見える場所へと案内された。
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(ブルーブリッジから見えるアムステル川の風景)
 この橋は運河クルーズの時にも紹介したが、改築前は青い橋だったのでその名がある。遠くに見えるのがマヘレの跳ね橋)
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(マヘレの跳ね橋)
 この橋も運河クルーズの時に紹介したが、1670年頃に建てられ、1772年に複葉式の跳ね橋となった。現在、アムステル川にかかる橋としては、唯一の木造跳ね橋である。
 次にムントタワーが見えた。
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(ムントタワー)
 ガイドブックによると、「17世紀にアムステルダムの町が大発展を遂げると、それまでシンゲル沿いに町を取り囲んでいた城壁は取り払われた。その残った塔の上に時計台を付けたのが、このムントタワー。ムントとは貨幣のことで、1672年にフランスがアムステルダムを侵略したとき、この塔の中でお金を造ったことからこう呼ばれている。」と書かれている。
 運河には私たちがクルーズで乗った同じようなボートが見えた。
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(運河クルーズのボート)
 次にダム広場へと向かった。
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(ダム広場)
 観光局によると、「アムステルダムの地名の由来にもなっている、ダム広場は、1270年頃、アムステル川にダムが築かれたのが始まりです。町の中心的な広場として、長い間栄えてきました。」と書かれている。広場の中央にあるのが戦没者慰霊塔(ナショナルモニュメント)で、「第二次世界大戦で亡くなった方を悼むため、1956年5月4日に建てられました。毎年、5月4日には、オランダ王室などが慰霊に訪れます。」と書かれている。
 次に私たちは現地ガイドの中川さんの案内で、国立美術館に入った。
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(国立美術館)
 国立美術館には、フェルメールの『手紙を読む青衣の女』や『牛乳を注ぐ女』、またレンブラントの『夜警』『自画像』など有名な絵画がたくさん展示されていた。私はここで日本のガイドブックを購入したので、このガイドブックを用いて絵画を紹介しよう。
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(レンブラントの『夜警』)
 5月28日(土)午後10時にテレビ大阪で放送された『美の巨人』という番組で、レンブラントの『夜警』が取りあげられていた。この絵画は、ダビンチの『モナ・リザ』ベラスケスの『ラス・メニーナス』とともに古くから世界三大絵画と呼ばれている。なぜこの絵画がそれほど素晴らしいのかをこの番組は詳しく説明していたが、この番組を見てから旅行に来ていたら、この絵画の見方も変わっていただろう。
 ガイドブックによると、「1642年、レンブラントは、今日では『夜警』という名で知られる、アムステルダム火縄銃手組合の集団肖像画を完成した。本作品は、フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長を前面に出し、残りの隊員は、2人の背後でアーチ型の門の幅広い階段に整列している。レンブラントは、隊員をばらばらに配置させることにより、非常にダイナミックな効果を与えている。主役の周囲にいる多様な脇役達もまた、この絵にエネルギーを注いでいる。1715年、『夜警』はアムステルダム市庁舎に移された。市庁舎で用意していた場所には、大きすぎて納まりきらなかったため、本作品の四方が切り詰められた。」と書かれている。
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(市警隊の中央にいる少女)
 ガイドブックによると、「市警隊の中央にいる、輝かんばかりに明るいサテンのガウンを着た少女の帯には、死んだ鶏がぶら下げられている。鶏の爪は火縄銃手の象徴であり、以前の市警隊は、これで身を守っていた。」と書かれている。しかし、私が見たテレビ番組では、この女性はレンブラントの亡くなった妻であり、彼女を絵の中に潜り込ませるために、注文された隊員の人数を膨らませたのだと説明していた。
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(覗き込んでいる男)
 ガイドブックによると、「騎手と、光り輝くヘルメットを被る隊員の背後から、ベレー帽の男が覗き込んでいる。これはレンブラント本人かもしれない。」と書かれているが、テレビ番組でも同じ解説が行われていた。
 
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by YAMATAKE1949 | 2016-05-31 11:03 | 旅行記 | Comments(0)