ベネルクス3国旅行記33 (アムステルダム観光③)

 次に現地ガイドの中川さんの案内で、フランス・ハルスの作品を鑑賞した。
 ガイドブックによるとフランス・ハルスについて次のように書かれている。
 「フランス・ハルスは、当時最も成功した肖像画家の1人だった。ハールレムのアトリエで、都市貴族、商人、上流階級、知識人、市警団のメンバーを描いた大型肖像画を手掛けた。また、農民、漁師、酔っぱらいの『トローニー』(具体的な個人の特徴を捉えた頭部の習作)も描いた。ハルスはアントワープで生まれたが、1585年に同市がスペイン軍に陥落したため、プロテスタント信者の大移動に伴い、両親と共にハールレムに移住した。ハルスは、カレル・ファン・マンデルのもとで絵画技法を学んだ。1610年、彼はハールレムの画家組合に迎え入れられた。ハルスの名声はハールレムを越えて広がり、アムステルダム、デン・ハーグ、ユトレヒトからも肖像画の依頼が舞い込んだ。このような成功にもかかわらず、彼の日常生活は苦しいものであった。ハルスには14人の子供がおり、うち5名の息子も画家となった。ハルスは画家仲間に『ラフスタイル』と呼ばれた大胆な筆遣いで有名であった。太い絵筆を大胆に、素早く数回動かすだけで、ハルスは手、目、鼻、口ひげ、襟、靴等を表現している。」
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(陽気な酒飲み)
 「市警が親しげに目を輝かせて杯を上げている。素早く単純で無造作な線や、大胆な筆遣いは、酒飲み本人のように、のんびりして無理がない。ハルスの流れのある筆遣いが絵に息吹を与えており、男の頭と手が動いているような錯覚を起こす。ハルスの作品の大半は依頼を受けて制作されたが、この『陽気な酒飲み』は例外であったと思われる。生き生きとした表情は、モデルを使用した可能性があることを示しているが、本作品はハルスが露天市場で売ることを目的に製作したものと考えられる。」
 次に静物画の作品を鑑賞した。ガイドブックによると静物画について次のように書かれている。
 「静物画が北ネーデルランドに入ってきたのは16世紀である。フランドルを逃れて、ミデルブルフ、ハールレム、アムステルダム等の都市に定住した芸術家により、静物画が広まった。移住してきた芸術家の作品を通じて、ネーデルランドの人々は、色とりどりの花が盛られた花瓶、肉や家禽、野菜や果物が積み上げられた台所や、食事の準備が整えられた食卓を描いた静物画を鑑賞するようになった。このようなモチーフが人気を博したため、さらに多くの画家が静物画に取り組むようになり、バラエティに富む様式が確立された。静物画に使われる特定のオブジェは、寓意的・宗教的な意味合いを持っていた『ヴァニタス』と呼ばれる静物画は、頭蓋骨やシャボン玉、または炎の消えたロウソク等を象徴として、人間は死を逃れることができないことを示している。晩餐画は、高価な料理の並んだ豊かな暮らしぶりを描いている。一方で、食器や台所用品、燻製肉をモチーフとする保守的な静物画を好んだ画家もいた。」
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(『チーズのある静物画』フロリス・ファン・ダイク画)
 「フロリス・ファン・ダイクは、食べ物が並んだ食卓を専門に描いた画家である。本作品は、チーズ、果物、ナッツ、パンが並べられた食卓を、やや高い確度から描写している。赤いテーブルクロスと、鳥や花の模様で飾られた白のダマスク織りのテーブルランナーが、美しいコントラストを生み出している。3種のチーズは、それぞれが異なる色と質感で描かれている。赤や緑のブドウの房が皿に盛られ、磁器製の器には、色とりどりのリンゴがこんもりと積み上げられている。手前の食卓の隅を見ると、照明の当たる面から、影への移行が伺える。ファン・ダイクは、白目製の皿をわずかに食卓の端から出すことで、奥行きを強調した。この構成手法は、後の静物画家にも末永く受け継がれている。
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(『鍍金した酒杯のある静物画』ウィレム・クラース・ヘダ画)
 「静物画家ウィレム・クラース・ヘダの作品には、ハールレムの画家仲間ピーテル・クラースとの間に、類似点が多く見られる。いずれも、食料や豪華な晩餐用の食器が並べられた食卓画に専念し、まるで、食事中の人物がたった今席を立ったかのような、非常にリアルな静物画を制作した。しかし、よく見ると、食卓に並べられているものの組み合わせに一貫性がなく、巧妙に仕組まれたものであることが分かる。ヘダが使用した色彩はクラースよりも保守的で、主に灰色が好まれた。この静物画では、彩度の異なる灰色を巧みに使い、唯一明るい色彩のオブジェであるレモンを際立たせている。」
 次にヤン・ステーンの作品を鑑賞した。彼についてガイドブックでは次のように書かれている。
 「ヤン・ステーンは、1626年にライデンのビール醸造所の息子として生まれた。彼は、ニコラウス・クニュプファー、アドリアーン・ファン・オスターデ、ヤン・ファン・ホーイェンの元で絵画技法を学び、1649年に師であるホーイェンの娘と結婚した。ステーンは風俗画の中で、自身の子ども達をモデルとして頻繁に登場させている。遊び、歌い、食べ、いたずらに興じる子供達が描かれている。ステーンの妻もまた、食事の場面や、お祭り騒ぎを描いた作品に幾度か登場している。ヤン・ステーンは短い間、デルフトの醸造所を経営し、ライデンに宿屋を開いた。このような副職も、彼が絵画を制作する妨げにはならず、精力的に作品を発表している。ステーンは逸話的な室内の場面や、陽気な人々を描いた作品で有名だが、肖像画や歴史画も手掛けた。彼の作品にはユーモア、二重の意味(性的なものが多い)、しゃれが随所にちりばめられているが、それに限らず、教養ある鑑賞者に訴える寓意や文学的なほのめかしも含まれている。ステーンは生来の語り部であり、登場人物の視線やしぐさの絶妙なやり取りにより、人間模様を生き生きと描く天性のセンスに恵まれていた。
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(陽気な家族)
 「テーブルの周りに集う、賑やかな家族の場面からは、今にも音が聞こえてきそうである。家の主がバイオリンを中断して、杯を掲げている。一杯やった後は、横で歌う2人の女性の伴奏をするのだろう。窓辺の少年はバグパイプを吹き、右端の少年はフルートを吹いている。一方、柄の長い陶製パイプを吹かしている子供達もいれば、手前には白目製の水差しから注がれるワインを受け取っている幼子までいる。暖炉の上にぶら下がっている紙には、『大人が歌えば、子供が笛吹く』、つまり、両親が悪い手本を示せば、子供もそれに倣うという本作品の教訓が記されている。」
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(聖ニコラウスの祝日)
 「12月5日は、オランダ全土の家族が聖ニコラウスの日を祝う。これは、何世紀もオランダで続く伝統行事である。子供達は歌い、靴を暖炉前に置き、『シンタクラース』(聖ニコラウス)がプレゼントやお菓子を入れてくれるのを期待する。良い子にはプレゼントが、悪い子にはむち用の枝が与えられる。手前の少女は、洗礼者ヨハネの人形とバケツ一杯分のお菓子をもらっている。隣にいる少年は、兄が泣いているのを指さして笑っている。兄弟の後にいる女中が、靴に入れられた枝を指さしている。奥の方では、老婆が動揺した少年を手招きし、天蓋付きのベッドに彼へのプレゼントがまだ隠されていることを示している。
 最後にゴッホの自画像を鑑賞した。
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(『自画像』フィンセント・ファン・ゴッホ画)
 「フィンセント・ファン・ゴッホは27歳で絵を描き始め、当初は農民の生活を描いた。1886年、パリで暮らし始めたゴッホのスタイルは変化した。印象派の影響を受けたゴッホは、オランダの暗くて濁った色を放棄し、明るい色を使うようになった。技術面でも変化があり、油絵具を厚塗りする代わりに、短く切れるような作風になった。彼はパリで肖像画の仕事に励み、弟テオからの財政支援に頼ることを減らそうとしていた。肖像画の習作として、彼は常に利用できる無料のモデル、つまり自分自身をモデルにしていた。ゴッホは自画像を研究のための題材ととらえていた。そのため、自画像には安価な材料を使用したり、前作の上に描いていた。アムステルダム国立美術館所蔵の本自画像も同様で、厚紙の上に描かれている。これは1887年の春または夏に描かれたもので、明るい印象派風のスタイルへの転換が見られる。」
 ゴッホの肖像画を鑑賞した後、私たちは国立美術館をあとにしてダイヤモンド工房を見学した。
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(ダイヤモンドがちりばめられた王冠)
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by YAMATAKE1949 | 2016-06-02 10:33 | 旅行記 | Comments(0)